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2012年04月23日

石巻弾丸ツアー ⑥ ~ 門脇地区 ~

石巻弾丸ツアー⑥ です。


*今更ですが、被災地の現状そのままの写真を
  今回のブログでは載せています。
  写真の掲載は多分賛否両論あると思いますし、
  見て辛い方もいらっしゃると思うので、
  そういう方は見ないでくださいね。
  (すでに見て辛くなってしまった人はごめんなさい。)
  ただ、私としては現地の人の思いも聞いたうえで
  あえて掲載させて貰うことにしました。
  どうぞご了承くださいませ。




今回石巻に来て、来ることを全く予想もしていなかった場所。
だけどこの辺では一番大きな被害が出たところ。
 ここ、門脇地区。
 

日和山から今度は海に面する方の坂道を下り始めました。
近くには女学校がありました。

「みんなこの坂を上ってここに避難してきたんだ。
 テレビとかでよく報道されていたのはこの場所なんだよ。」

おじいちゃんは教えてくれました。



そのまま坂を下りていくと、あたり一体は墓地でした。
もともとそこはお寺と墓地があり、
隣接して小学校が建っていました。

ちょうど小学校の裏側が見える場所に立つと
「真っ黒になってるのがわかるだろ?
  火事で燃えてしまったんだよ。」


そのまま一番下まで降りると小学校の敷地に入れます。
ここにも「立ち入り禁止」の看板が立っていましたが、
おじいちゃんは気にせず校庭に入ってきます。

「入っていいんですか?」と私。

するとおじいちゃんは

「いいのいいの。ここね、長渕剛さんが昨年来て歌ってたんだよ。
 いろんな芸能人がボランティアでこの辺にも来てくれたんだ。」
と言いました。


「そういえば、なんかで見たような…」
 でも、すぐに思い出せませんでした。

さすがに校舎内は危ないので、入りませんでしたが、
目の前に聳え立つのは火事で真っ黒になった校舎。
窓ガラスも割れ、瓦礫こそなくなっていたものの
震災直後のままでした。
どうしても先にやるべき所があるのでこの辺は後回しに
なるそうです。


ここに通っていた子供たちは、
震災時、先ほどの日和山に登り避難したそうです。
この学校では普段から津波が来たら日和山に
逃げることを徹底していたといいます。

だけど、住民の人達は押し寄せる津波と共に
流されてくる家や車、そして大きな火災、
逃げれた人逃げ切れなかった人…
辺り一帯は大惨事と化しました。
ニュースにもなった幼稚園児を乗せたバスが
被災してしまった場所もここだったそうです。。

あの日、この辺一帯は雪が降っていました。
逃げるだけでも大変なのに追い打ちをかけるように。

どれだけ怖かったか… 本当に胸が痛みます。

おじいちゃん曰く、小学校の子供たちは今は、
いくつかの学校に分かれて通っているそうです。


今ではすっかり何もなくなった校庭。

ひっそりとあるプール。





近くには子供がいた事を思わせる品も
いくつか残っていました。

その脇に立つ一本の木。
火災か塩害のせいか途中までがすっかり枯れています。





途中、車に乗った何人かの大人たちがやはり
見学に来ていました。学校のOBの方たちが
時々様子を見に来られているそうです。


山の下から見る景色は、
ただただ広大な土地が広がっていました。

時折、取り残された建物がポツンとある程度。

そして奥には瓦礫と化した、でも元々は皆さんの家や車や
大切なモノの数々…




奥にはたくさんの車が…



実は現地に行く前はほとんど何も情報を得ないで
ただ、とりあえず行ってみようと思い行きました。
帰ってきてから、震災時や直後の石巻の映像を
いくつか見ました。
私も立ったあの場所やこの場所。
見覚えのある風景がこの前見たのとは全然違う状態で
映像として映し出されていました。

また、長渕剛さんが歌ったという門脇小学校前の映像。
去年の紅白でした。
偶然途中から紅白を録画していたのを、
まだ観ていなかったので観てみたら、
しっかり映っていました。


涙が出ました。



私たちは、この震災から何を学び、何を語り継ぎ、そして
何を生かしていけるでしょうか?

  
Posted by kurumi at 21:44ブログ

2012年04月23日

石巻弾丸ツアー ⑤ ~ 日和山公園 ~

石巻弾丸ツアー⑤ です。

しばらく歩いて、急な坂道を登っていくと、日和山公園
辿り着きました。辺り一面がよく見渡せます。

桜はまだ蕾の状態でした。sakura_01




そのまま進んでいくと、大きくて立派な神社が…
鹿島御子神社というそうです。

おじいちゃんと一緒にお参りをしました。
参拝を終えて、反対側に向かっていくと大きな鳥居があります。




そこからは本当に辺り一面が見渡せました。

これが今の石巻の状況です。





海までの敷地はほぼ更地に近い状態になっていますが、
もともとここは全部住宅街になっていたそうです。




遠くに目をやると、いろんな場所に瓦礫の山がありました。
分別されているようで、ピラミッドのように積まれた山。
車だけの場所。

向こうの方にもあるのが見えます。




少し移動すると、先ほどの萬画館がある中州も良く見えます。





自由の女神が建っているのですが、肉眼ではわかりませんでしたが
アップにすると左の下半身が削られているのがわかりました。



しばらくこの場所でおじいちゃんといろいろな話をしました。


その中で印象的だったのは、「てんでんこ」という言葉。

そういえば、震災の直後はメディアでも伝えていたフレーズ。
でも、改めて今聞かれると記憶があいまい。
おじいちゃんに「どういう意味でしたっけ?」と聞いてみる。


「てんでんばらばら。津波や地震が来たら自分たち各自の判断で
とりあえず逃げるという事。家族や荷物を置いてでも逃げるんだよ。
それが昔からこの辺の教えなんだ。今回は助けに行った人たちが
たくさん犠牲になった…。」



自己判断


とにかく 『自分の命は自分で守る』 という事。


いろんなものに依存しすぎている私たち。
自分の判断でどこまで行動が出来るのか…

荷物を取りに行ったり、誰かを助けに行って亡くなってしまった人。
それがもちろん悪いわけではないし、きっとそれも自己判断。

助けに行って亡くなってしまった人も、いけなかった人も、
それぞれがきっといろんな想いや後悔があったと思います。
それがいい悪いなんて誰にも決められない。

だから誰も責めたりはしない。


それがこの「てんでんこ」の教え。



そしてもう一つおじいちゃんが教えてくれたのは、
ここ石巻は川沿いでは珍しい無防波堤の街だったんだということ。

だから私は聞きました。
「それは今まで大きな津波が来なかったからですか?」

するとおじいちゃんは、

「いやいや、何度も津波は来てるよ~。だけどここは貿易の町。
 いろんなものをこの川から船で運んでたんだよ。
 川沿いにはたくさんの船がいつも並んでいたんだ。
 だから防波堤があると荷物の荷卸しなどに邪魔だったんだよ。
 津波が来ても、そこまで大きいのも来なかったし
 来たらとりあえずてんでんこ。
 多少周辺が壊れても、防波堤を作るよりは良かったんだよ。
 だけど、やっぱり今回の津波は想定外だった。」

と言いました。


昔はとても貿易で栄えた街だそう。
だけど、現在は大手商社などが直接買付けに来たりするので
昔ほどの賑わいはなくなっているとか…

「漁師も農家も大変な時代だよ。
 一次産業は…。いい時代もあったんだろうけど…。
 今は中間の人たちの方がいいんじゃないの?」

っておじいちゃんが言ってました。
ちなみにおじいちゃんは、この周辺のパルプ工場で働いていたそうです。


しばらく公園内を歩いているとおじいちゃんが

「この下の街は震災の時、大きな火災がたくさんあったんだ。
 車のガソリンとかで火事が起きて、
 一帯は大きな火の海に包まれたんだ。
 その中には小学校があったんだよ。
 行ってみるかい?下に降りたらいけるよ?」

火事の跡…

さすがにちょっと戸惑いましたが、せっかくなので行く事にしました。



⑥へつづく。


  
Posted by kurumi at 15:09ブログ

2012年04月23日

石巻弾丸ツアー ④ ~ 石巻の被害状況 ~

石巻弾丸ツアー④です。


住吉公園で偶然出会った見知らぬおじいちゃん。
通常かなり人見知りの私は、基本的に警戒心も強いので
誰かれ構わず付いて行く事はまずないですが、
不思議とこのおじいちゃんとは、自然と話しながら
歩き続けていました。face13


日和山公園に向かう途中、商店街の一部や沿岸部を通りながら
向かったのですが、そこには観光で有名な②でも少し触れた
萬画館がありました。
もちろん、今は閉まっています。

震災直後、テレビで映像を見た方も多いと思います。

私もあの丸いドーム型の建物の印象だけは残っていました。



そこは岸から少し離れた中州にあります。
すぐ近くまでは行きませんでしたが、近くに架かる橋。
川の目の前のガードレール。
痛々しく今も尚残っています。




商店街は沿岸部ほどもちろん被害も大きく、
たくさんの老舗のお店も被災しました。

おじいちゃんも歩きながら、「ここは〇年前からあったんだよ~」
と、それぞれのお店に懐かしそうに語っていました。
だけどもう、細かくどこがどこだったのかわからない程の変貌。


昔からある蔵も大きな被害を…



違う場所で少しずつ営業を再開されているお店もあるようです




よく見ると反対側の岸辺には船が乗り上げたまま



急な坂道を上り、私たちは日和山公園にたどり着きました。

⑤へつづく…  
Posted by kurumi at 15:08ブログ

2012年04月21日

石巻弾丸ツアー ③ ~住吉公園~

石巻弾丸ツアー③ です。

なんとなく、ひかれるように歩いて辿り着いたのは
「住吉公園」というところでした。

たまたま、ツイッターでフォローしている人の中に
住吉中学校の先生がいて(知り合いではないのですが…)
この方は、福山雅治さんのファンらしく震災直後の福山さんの
チャリティラジオ番組に被害の現状報告等をされており、
それ以降ちょこちょこ通常の番組内でも状況を紹介されていて、
先日はなんとその甲斐あって学校の体育館で福山ライブが
開催されたのでした!
学校の生徒さんや先生はもちろん、皆さん感激されていました。
歌で元気を届けるってやっぱりいいですよね。

でも石巻に来るまではそんな事すっかり忘れていましたが、
それを聴いていたせいもあってか、そういえばあれ石巻だったなと
思い出し、あてもなく歩きながらもなんとなく住吉という
名前が付くここへたどり着いたのでした。
そこは駅から歩いて15分ほど。


この場所の震災前の姿を知りませんでしたが、ここでも
大きな傷跡があるのがすぐにわかりました。


公園のすぐ横を川が流れているのですが、
目についたのは赤い橋




でも、この橋の前には不自然な防波堤。。
渡ることはできません。
橋の向こうにある小さな島。
そこには松の木が横たわっていました。


公園内に入ると、目の前には神社が。
その手前にはある建物が建っていました。
ふと、川の方をもう一度見ると
おじいさんが川を見ながら二人、立ち話をしていました。
とりあえず「おはようございます。」と声をかけると
一人のおじいさんが話しかけてくれました。

おじいさん 「○○にボランティアで来たのかね?」

私 「いや、今回はボランティアじゃなくて…
  神奈川からちょっと様子を見に来ました。」

なんて、たわいもない話をしているとそのおじいさんが
自然と公園内を案内してくれ始めました。


まずは、先ほどあった公園内の建物。
近づくと「立ち入り禁止」の張り紙が。

でも、ドアも窓もなく中は丸見えの状態。
するとおじいさんが言いました。
「津波が2m位まで来たんだよ。それがこの跡。」

玄関にある壁をよく見ると、水の跡らしきものが残ってました。
そのまま玄関横の部屋を見ると、床は全部剥がされて、
その下には炭が敷かれていました。
そしてそこの壁にもよく見ると水の跡の線がくっきり残っています。
おじいさん曰く、波はもっと高く来たけど、一番水が留まっていた
高さにその跡は残っているんだと。
地面からだいたい1m位の高さでした。


被災地の状況は、昨年の5月に福島へボランティアに行った時にも
沿岸部を見ていたのですが、やはり言葉に詰まってしまいます。
少し呆然としているとおじいさんは「写真撮らんの?」と言うので
「いいんですかね?」と聞くと、
「いいんだよ。現状を知って伝えてもらいたいよ。」と言われました。

前は震災直後だったのもあり、被災地の状況を一枚も取れませんでした。
それでも、いまでもその光景は目に焼き付いています。
だからなんとなく今回も躊躇いはありましたが、
その言葉を聞いて今回は写真に収めていこうと思いました。



 
ちなみにこの床はピースボートのボランティアの皆さんによって
剥がされたそうです。その下の炭は関西から届いた竹炭だそうです。
東北では木がたくさん取れるので木炭がほとんどだから竹炭は
珍しいって言っていました。



神社でお参りをすると、神社の裏手にある高台へ
案内してくれました。そこから町が一望できました。
それほど大きな敷地ではありません。

「あの日、ここにも40人位の人が避難したんだよ…。」
おじいさんは言いました。

この場所に40人…。きっとかなり狭かったはず。。
みんなどんな思いでこの場所に立っていたんだろう…。
きっと私なんかには到底わからないほどの思いだったと思います。

境内に戻り、住吉神社(正確には大島神社というそう)で
お参りをしてからおじいさんにお礼をいうと、
ついでだからと今度は川沿いを案内してくれました。


先ほど見た赤い橋。もともと防波堤はなく、
やはりここは震災前までは渡れたそうです。

震災時にこの周辺は70cm位地盤沈下したそうです。
その為、川沿いの道には防波堤が出来て、
道は砂利で整備されこんな感じになっています。



ここは昔、「袖の渡り」と言われており
源義経が船賃の代わりに片袖をちぎって船頭に
与えたと伝えられ、その石碑なんかもありました。


ちなみにこの赤い橋を渡った小さな島(雄島と言うそう)の
近くには巻石という石があって、その周りを時々渦が巻くらしく
それがこの「石巻」という名前の由来になったという説もあると
おじいさんが教えてくれました。

偶然にも初めて着いた場所が
石巻由来の場所だったとはなんともです。



そのまま川沿いを歩くとおじいさんが言いました。
「ここも写真撮ったら?みんなこんな感じだったよ。」と言って
横を見るとお家が完全に崩れていました。
ここの方は現在仮設住宅に避難されているそうです。
それを聞いてほんの少し安心しましたが、1年以上たっても
まだまだ手つかずの場所があるのだという事も実感しました。




そのまま少し歩くと、
「このまま道なりに行ったら住吉小学校があるから、
 それを曲がるとまた町の方へ戻れるよ。」というので、
再びお礼を言っておじいさんと別れ、
川を見ながら一人で歩き始めました。

その道を突き当たると小学校がありました。

ちょうど通学の時間だったので、
元気にみんな学校へ入っていくところでした。
でもこんな川の近くに小学校が…
本当に大変だったと思います。

門の前の先生に軽く会釈しながら、また町の方へ戻っていくと
自転車に乗ったさっきのおじいさんが道の反対からまた声を
かけてくれました。軽くお礼と挨拶を交わすとまたおじいさんが
戻ってきたので再び一緒に歩きながら話します。
来る前に何かで見た
「桜で有名な日和山公園に行こうと思う」と伝えたところ
じゃあ案内しようと言って、自転車を押しながらそのまま
結局また案内してくれることになりました。

話を聞くとこのおじいさんは町のお掃除係りをやっていて
時々ボランティアに来る人たちの案内を時間があれば
しているとのことでした。
お年を聞くと、74歳。でも全然元気です。

そして何よりものすごい記憶力。face08

道中いろんな話をしてくれるのですが、多くは歴史的なコト。
この場所は伊達正宗が~とか、川村孫兵衛が~とか
歴史が苦手な私には若干難しかったですが、
ただただその記憶力と話に関心しながら
「なるほど~」と聞いていました。face12


そうこうしているうちに、また川沿いへ戻り
今度は日和山公園を目指します…


④へ続く。。

(って、これ一体いくつまで続くのか…。自分でも謎ですicon10
  
Posted by kurumi at 12:06ブログ

2012年04月21日

石巻弾丸ツアー ② ~被災地の今~

石巻弾丸ツアー② です。

前回は単なるボヤキみたいな感じになってしまいましたね。
すみません。。icon10


さて、ここからは実際現地へ行ったお話を。face01


前回お伝えしたように、最初ボラバスも検討していたのですが
なかなかうまく予定も合わずで個人的に行くことに決めました。
でも、前回行った福島ならともかく、宮城岩手まではかなり遠い。
調べてもうちから車で10時間位はかかります。icon17
片道10時間の運転。。運転は好きですがさすがに長い。
途中休み休み行ったらもっと時間がかかります。
かといって電車だと乗継も費用もかなりかかります。
しかも行ったことの無い、土地勘も全くない場所。
誰かを誘って一緒に行く??
いや、リスクのあることはあまり人を巻き込みたくないので
それは選択肢になかったのですが、じゃあどうしようと思い
調べてみたら夜行バスが出てることに気づきました。face16
これなら片道¥4000位で行けるので、多分個人でガソリン代を
考えてもそれより安くいけます。しかも夜移動で早朝着くので
電車とかより効率もいい。その中で一番被災地に近いところが
宮城県の石巻でした。ということで、場所が決まりました。
しかも予定も前日の予約で大丈夫だったのでちょうど予定が
空いた日に行け、仕事に影響もなく手配できました!

ちなみに一日ならボラバスと同じ位の費用ですが、
ボラバスはたいてい新宿から23時頃出発とかなので、
これだと横浜から22時頃出発なので行きやすのもありました。

だけど、私的に不安だったのはなんせ乗り物酔いするという事。

特にバスはかなり苦手。
普通に路線バスでも酔ってしまうという…icon11
自分の家から駅まで行くのも結構ダメなくらいです。
電車は比較的大丈夫ですが、バスの後に乗ると
基本的には路線電車もダメなんです。
普段は自分で車を運転して移動しているので
それは大丈夫なのですが、他人の運転も基本的にはダメ。
もちろん船も…。 唯一大丈夫なのは飛行機くらい。icon20
以前、屋久島でシーカヤックやってそれでも酔い、その流れで
シュノーケルしても完全に波酔いして楽しいはずがグロッキーに。。
なので、バスで8時間とか耐えられるのか心配でしたが、
夜行バスだけあって、乗ったと同時に暗くなるので
案の定15分くらいで少し気持ち悪くなってきたのですが、
ミスチルを聴きながら速攻そのまま寝てしまいました。
こんな時に座りながら寝ることに慣れているのが役立つなんて!
しかも座席に余裕があって一人で二席分だったので
横の席も使える。そしたらほぼ大丈夫でした!face08
2時間起き位に休憩が入るので都度起きるのですが
ちょこちょこ寝て起きるのにも慣れているので、すぐ寝れる。
その繰り返し。。
思いのほかスムーズに現地に着きました◎
(あっ、ちょっと余談でしたね。。)


19日朝7時前。石巻駅前に到着。train_a01

まだ早いので駅以外はどこもやってない為、
とりあえず駅周辺をフラフラ。
途中バスの中に携帯の一つmobile_01を落とし忘れてきてしまう
事に気づくというハプニングはもちろん相変わらず
付いていましたがicon10、とりあえずそれも無事回収していざ出発!

まずは余計な荷物はロッカーに入れて、
特にガイドブック等は持っていなかったので、
駅の案内板を見て近くの商店街の方へ歩き始めました。
完全にノープランの旅の始まりです。



一見、本当にあんなに大きな被害があったのかわからない程の
穏やかに見える朝の駅前の光景。



駅前にある案内図




商店街に進むにつれて、何やらキャラクターの像があちこちに。
  


ここ、石巻はサイボーグ009、仮面ライダーで有名な
宮城県出身の漫画家石ノ森章太郎さんの協力を得て作られた
「石ノ森萬画館」あり、
そこへ続く道がマンガロードと呼ばれ、
商店街のいたるところにキャラクター像がありました。



その通りを歩いていくと、たくさんのお店が連なっていましたが
どこもシャッターが閉まり、中にはベニヤ板で塞がれてたり、
工事中だったり… 
時間が早かったのもあって、正直どこまでやっているのか
よくわからない状況でした。
ただ、進むにつれてやはり大きな被害があったんだという事を
目の当たりにしていきます。




商店街を進むにつれて、沿岸部に近づいていきます。


どうやらお店が閉まっているのは、ただ朝が早くて
やっていないわけでは無いことがすぐにわかりました。





そして、商店街を過ぎ、私はある場所にたどり着きます。



住吉公園。

この日のすべてはここから始まりました。






③に続く…。

  
Posted by kurumi at 08:04ブログ