2013年03月12日
東京電力 福島第一原発事故から2年…
東京電力 福島第一原発事故から今日でちょうど2年になります。。
震災以降の私のブログをご覧いただいていた方は、
あれから私の書く内容が変わっていったことに気づいてくれていると
思います。私自身も久しぶりに少し見返してみたら…
これってスープ屋のブログじゃないよな?!って感じでした。
震災関連の話とか環境問題の話とか、あとはミスチルと
apフェスの話ばかり。
でも、あの時の私にはそういう事しか書けなかった。(今も?)
とにかく自分が持っている情報を、自分のスープの事とか出店の事とか
それよりたくさん伝えたいだけでした。
今日でちょうど東京電力 福島第一原発の事故から2年が経ちます。
あの日見た原発が爆発する映像は今でも脳裏に焼き付いてます。
それと同時に一瞬で絶望の波に襲われたことも。。
枝野さんが当時言ってた「ただちに影響はない」って言葉。
残念ながら、そろそろ影響出て来てますよね…。
テレビやメディアで報道されない真実がどれくらいあるのか、、
自分で調べなきゃわかならいですが、今は個人で調べれる情報や
環境もいろいろとあるので、やっぱりなって思う事がたくさんあります。
もちろん、放射能だけが体に影響しているわけじゃなくて
世の中にはたくさん体に害になるものがあって、
食品添加物とか、農薬とか、今では中国からの大気汚染PM2.5もあるし
多分言い出したり、調べだしたらきりがない。
それを全部省いていけるような世の中じゃないんですよね。
だからもうそんな事気にするな!って思う人もいると思います。
もちろん、そんな事ばかり考えて毎日凹んで過ごすより
そんな事なかったことにして、楽しく暮らすのもありなのかもしれません。
どれだけ健康に気を付けてたって、病気になる時はなってしまうだろうし
一番は精神的なストレスが原因だとも思います。
病気以外のことだっていろいろあるし。
だけど、それによって苦しんでいる人たちがいることを
忘れちゃいけないと思うんです。
そしてそこで頑張ってくれている人たちがいることも…
今も尚、東京電力 福島第一原発の事故のせいで、
お家に帰れないままでいる人たちはたくさんいます。
私もそういう人たちの炊き出しのお手伝いを仲間を通しても
何度かさせて頂き、いつまでこんな生活が続くんだろうと胸が痛みました。
でも、こればかりはしてあげたくても私にはどうにもできない。
昨年、Face Bookを通じて、実際に原発作業をされた方とお友達になりました。
その方が数か月前、私の出店先にわざわざ来てくれて初めてお逢いし、
先日あることで2回目の顔合わせをしました。
彼は、実名で原発作業の不正労働雇用について東電を告発しています。
実はその彼のインタビューが今夜放送される報道ステーションで放映される予定です。
(何も問題が起きなければ)
そして、実は私、、そのインタビューの場に立ち会わせて貰ってたんです。
もちろんあくまで立ち会わせて貰っただけなので、古舘さんとのやり取りを
少し離れたとこから椅子に座って見聞きしていただけなのですが…。
でもそれが真実なんだって思うと、ああ、やっぱりなって思うと同時に
そんなんじゃいつまで経っても収束なんてしないでしょ。って思いました。
これから先どのくらいの時間が必要なのか、それと同時のどれだけの
人間が必要なのか…
必ず誰かがある意味犠牲になってやらないと、どうにもならない事が
現実問題で起きているんです。
だけど、実際はまだまだ手の付けようのない場所があって、
万が一の事があったらそれこそ大問題になると思うんです。
そんな未来は想像したくないけど、すでに事故を起こしている原発に
それ以外にまだまだ日本は原発がたくさんある…。
作っては簡単には壊せないものを、そこで出た核のゴミの処分が決まらない物を、
いくら経済の為と言ってもこれ以上増やすことは間違ってると思うし、
まずは今のこの現状をどうにかしなきゃいけないんだって思います。
だからと言って、今私たちに何が出来るのか…
実際に現地に行って、自分も一緒に作業できるわけじゃなく、
心配する事しかできないのかもしれないけれど、、
せめて現地で自分の健康を削って働いてくれている人が、
それなりのフェアな環境で働けるよう、一緒に訴えていかなきゃ
いけないんじゃ無いかなって思います。
だって、私たちの未来を次世代の未来を守ってくれようとしているんですから。
もちろん、原発をこれ以上増やさないように声もあげなきゃいけないとも思います。
それが例え小さなアクションだったとしても。。
それと同時にこれから自分たちなりにどうしていくべきなのか、全てを国任せにしないで
ちょっとずつでも考えていくことが必要なんだと思っています。
たくさんの不安の中で、今は前みたいに絶望するだけじゃなく、
それなりに情報を得ていく中で、今ならそれでもまだ何とか
希望を見いだせるんじゃないかなって思っています。漠然とですが…。
その為にはいろんな情報を、せめてこのブログやFB,ツイッターで
繋がっている人たちとは共有出来たらいいなと思っています。
それが今、そういう環境に置かれた私のkurumiの役目だと思っています。
6年目のスタートはそんな感じです。
私自身は、kurumiの形を必要に応じて変えていこうと思っています。
このままスープ屋でいるかもしれないし、
もしかしたら一時的に変わるかも知れないし。。
多分それは私の想いだけじゃなくて、運命にある程度左右されると思います。
だからその答えはもう少ししないと出ないですけど、、
もしその時が来たら、それはそれでちゃんとお知らせしたいと思います。
久々のブログ、長々お付き合い頂きありがとうございました。<(_ _)>
お時間ある方は今夜9:54~のテレビ朝日系列 報道ステーション
是非ご覧ください。。http://www.tv-asahi.co.jp/hst/
希望の数だけ失望は増える それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」想像してみるんだよ ♪
- Mr,children くるみ -
震災以降の私のブログをご覧いただいていた方は、
あれから私の書く内容が変わっていったことに気づいてくれていると
思います。私自身も久しぶりに少し見返してみたら…
これってスープ屋のブログじゃないよな?!って感じでした。
震災関連の話とか環境問題の話とか、あとはミスチルと
apフェスの話ばかり。
でも、あの時の私にはそういう事しか書けなかった。(今も?)
とにかく自分が持っている情報を、自分のスープの事とか出店の事とか
それよりたくさん伝えたいだけでした。
今日でちょうど東京電力 福島第一原発の事故から2年が経ちます。
あの日見た原発が爆発する映像は今でも脳裏に焼き付いてます。
それと同時に一瞬で絶望の波に襲われたことも。。
枝野さんが当時言ってた「ただちに影響はない」って言葉。
残念ながら、そろそろ影響出て来てますよね…。
テレビやメディアで報道されない真実がどれくらいあるのか、、
自分で調べなきゃわかならいですが、今は個人で調べれる情報や
環境もいろいろとあるので、やっぱりなって思う事がたくさんあります。
もちろん、放射能だけが体に影響しているわけじゃなくて
世の中にはたくさん体に害になるものがあって、
食品添加物とか、農薬とか、今では中国からの大気汚染PM2.5もあるし
多分言い出したり、調べだしたらきりがない。
それを全部省いていけるような世の中じゃないんですよね。
だからもうそんな事気にするな!って思う人もいると思います。
もちろん、そんな事ばかり考えて毎日凹んで過ごすより
そんな事なかったことにして、楽しく暮らすのもありなのかもしれません。
どれだけ健康に気を付けてたって、病気になる時はなってしまうだろうし
一番は精神的なストレスが原因だとも思います。
病気以外のことだっていろいろあるし。
だけど、それによって苦しんでいる人たちがいることを
忘れちゃいけないと思うんです。
そしてそこで頑張ってくれている人たちがいることも…
今も尚、東京電力 福島第一原発の事故のせいで、
お家に帰れないままでいる人たちはたくさんいます。
私もそういう人たちの炊き出しのお手伝いを仲間を通しても
何度かさせて頂き、いつまでこんな生活が続くんだろうと胸が痛みました。
でも、こればかりはしてあげたくても私にはどうにもできない。
昨年、Face Bookを通じて、実際に原発作業をされた方とお友達になりました。
その方が数か月前、私の出店先にわざわざ来てくれて初めてお逢いし、
先日あることで2回目の顔合わせをしました。
彼は、実名で原発作業の不正労働雇用について東電を告発しています。
実はその彼のインタビューが今夜放送される報道ステーションで放映される予定です。
(何も問題が起きなければ)
そして、実は私、、そのインタビューの場に立ち会わせて貰ってたんです。
もちろんあくまで立ち会わせて貰っただけなので、古舘さんとのやり取りを
少し離れたとこから椅子に座って見聞きしていただけなのですが…。
でもそれが真実なんだって思うと、ああ、やっぱりなって思うと同時に
そんなんじゃいつまで経っても収束なんてしないでしょ。って思いました。
これから先どのくらいの時間が必要なのか、それと同時のどれだけの
人間が必要なのか…
必ず誰かがある意味犠牲になってやらないと、どうにもならない事が
現実問題で起きているんです。
だけど、実際はまだまだ手の付けようのない場所があって、
万が一の事があったらそれこそ大問題になると思うんです。
そんな未来は想像したくないけど、すでに事故を起こしている原発に
それ以外にまだまだ日本は原発がたくさんある…。
作っては簡単には壊せないものを、そこで出た核のゴミの処分が決まらない物を、
いくら経済の為と言ってもこれ以上増やすことは間違ってると思うし、
まずは今のこの現状をどうにかしなきゃいけないんだって思います。
だからと言って、今私たちに何が出来るのか…
実際に現地に行って、自分も一緒に作業できるわけじゃなく、
心配する事しかできないのかもしれないけれど、、
せめて現地で自分の健康を削って働いてくれている人が、
それなりのフェアな環境で働けるよう、一緒に訴えていかなきゃ
いけないんじゃ無いかなって思います。
だって、私たちの未来を次世代の未来を守ってくれようとしているんですから。
もちろん、原発をこれ以上増やさないように声もあげなきゃいけないとも思います。
それが例え小さなアクションだったとしても。。
それと同時にこれから自分たちなりにどうしていくべきなのか、全てを国任せにしないで
ちょっとずつでも考えていくことが必要なんだと思っています。
たくさんの不安の中で、今は前みたいに絶望するだけじゃなく、
それなりに情報を得ていく中で、今ならそれでもまだ何とか
希望を見いだせるんじゃないかなって思っています。漠然とですが…。
その為にはいろんな情報を、せめてこのブログやFB,ツイッターで
繋がっている人たちとは共有出来たらいいなと思っています。
それが今、そういう環境に置かれた私のkurumiの役目だと思っています。
6年目のスタートはそんな感じです。
私自身は、kurumiの形を必要に応じて変えていこうと思っています。
このままスープ屋でいるかもしれないし、
もしかしたら一時的に変わるかも知れないし。。
多分それは私の想いだけじゃなくて、運命にある程度左右されると思います。
だからその答えはもう少ししないと出ないですけど、、
もしその時が来たら、それはそれでちゃんとお知らせしたいと思います。
久々のブログ、長々お付き合い頂きありがとうございました。<(_ _)>
お時間ある方は今夜9:54~のテレビ朝日系列 報道ステーション
是非ご覧ください。。http://www.tv-asahi.co.jp/hst/
希望の数だけ失望は増える それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」想像してみるんだよ ♪
- Mr,children くるみ -
2013年03月12日
今年初めてのブログです…
今年初めてのブログです。。
すっかりまた3か月近く間が空いてしまいました
懲りずにご覧いただいている皆様、ありがとうございます!
こんな私ですみません。。
下書きばかり書いていたら、長くなりすぎて…
そのうち本にしようかと思っています。(嘘)
とりあえず、本当にもう少し早くアップしないとと思っていたのですが…
まあ、言い訳しか出てこないので、やめておきます。(笑)
えっと、いろいろ伝えたい事はあるのですがまずは一番にこれを…
先週の土曜日、3月9日で
お陰様でkurumiは丸5年を迎える事が出来ました!
今まで応援してくださった、家族、友人、仲間、出店関係の方々、
そして何よりkurumiで直接買って頂いたり、ブログなどを見て頂いて
応援してくださった皆様、
本当にどうもありがとうございます!!
<(_ _)>
正直、こんなにも早くこの日を迎えると思っていませんでした。
あっという間の5年間でした。
何にもわからない状態から始めて、ゆっくりだけど、時に急いでみたり、
なんとなく自分のペースで、自分なりのやり方で進めてきた感じです。
よく、なんでこの仕事を始めたのかとか聞かれますが、
正直思いつきなんです。
だけど、その時私がやっていたバラバラだったいろんな事が、
これをやる事で一つになる確信だけはあったんです。
それといろんなタイミングも合ってやるなら今しかないと思ったんです。
それまであった、安定していた生活を全て捨てて、
この世界に思い切って飛び込んでみました。
その時は何の不安もありませんでした。
わけもなく変な自信があったんです。(笑)
でも実際やってみたら正直思っていた以上に大変で、、
一見楽しそうにやってるだけにみえるかもしれませんが、
やっぱり途中で何度か心が折れそうにもなりました。
もう辞めた方がいいかな?とか何度も思いました。
だけど、そう思うと突然仕事が入ってきたり、仲間に支えられたり、、
結局そのままその想いが薄れてまた頑張って続けてみたり。。
そんな事の繰り返しだった気がします。
もともとのこの仕事を始めた理由の一つとして、当時私は
建築関係の仕事をしていたのですが、なかなか忙しい毎日を送っており、
その時はほとんど休みもままならないような生活が続いていたので、
とっても食生活も乱れていて、家に帰るのも夜中寝に帰るだけだった感じなので、
朝昼晩ほとんど外食やコンビニのお弁当、カップラーメンとかそんなのばかり食べてました。
後輩の女の子は、ごはんの替わりにお菓子ばかり食べていたり…
その時は風邪もよく引いていたし、30歳になる頃、これじゃいけないなって
思うようになりました。
で、自分やこれからの事を考えたくて会社に無理言って長期休暇を貰い
一人でニュージーランドへちょうど30歳の誕生日を挟むようにして
1カ月半行きました。
そこへ行くことで、具体的な何かを習得したわけではないけど、
でも自分の中での価値観とかいろんなモノの見方とか、考え方とか
行動する力とか、なんとなく何かがいろいろ変わりました。
それと同時に、もともと昔から海外で少し生活してみたいというのが
あったので、ずっと願ってれば夢は叶うんだって思うようになりました。
もちろん、ただ夢みてるだけなら無理だけど、それを目標に落とし込んだ時に
はじめて叶えることが出来るんだって思いますけど。。
帰ってきてすぐは、本当は3年後にまたニュージーランドに行って
そのまま移住したいなと思ってたんです。
でも、帰ってきてすぐ新規OPENする逗子店の店長を任されて、
そこでまたいろいろな経験をさせて貰って、その時から自然素材や今はちょっと
死語になりつつあるかもしれませんがLOHASな生活というものを
勉強するようになって、そこからもともと興味ある事には好奇心旺盛になる
タイプなので、仕事以外でもそういう事についていろいろ活動するようになり…
当時、みんな私が一体何をやってるんだろう?
…って感じで少しみられてたようですが。(笑)
だけど私の中ではなんとなくそれが繋がっていて…
そのなんだかバラバラだけどなんとなく自分の中で繋がっていることが
単に興味本位で野菜ソムリエの資格を取ったことによって、せっかくならなんか
それを生かしたいなと思うようになり、そんな事を考えてたら今のスタイルを
思いついてしまったんです。
でもそれで、いままで思ってた事ややって来た事が完全に繋がると思えたんです。
だからなんとなく思いつきだけど、そうじゃないような。
とりあえず、わけもなく自信だけはあるような…
そんな感じで始めたのがきっかけです。
中にはもっとちゃんとした理由で始めたとか、すごいスープ作るのが好きとか
そんな風に思い描いてくださっていた方がいたらご期待に添えずごめんなさい。
kurumiとしての当時の一番の目標はもともとのkurumiを始める大きなきっかけになった
apbankが主催するapbank fesに出店することと、
地元農家さんの流通の手助けを少しでもすることでした。
とってもラッキーなことにデビューした年からapbank fesに出店する事ができ、
いきなり一つの大きな目標が叶いました。
そしてその位からちょうど、今はいろんな所で開催されているマルシェが
スタートするようになりました。
こちらも幸い、今のマルシェのベースになったイベントに初めから参加させて
頂くことが出来、環境的にはいろいろと恵まれていたと思います。
マルシェがたくさん出来るようになって、地元の農家さん達も直接お客さんに
販売する機会が増え、私もある農家さんと親しくさせて頂き、いろんな形で
応援させて貰う事ができ、当時思い描いていた目標が叶った気がしました。
だから正直、kurumiとして一番初めに掲げていた目標は叶えられたと思ってます。
そこには例えばお店を大きくして、たくさん売り上げ増やしたいとか
そういう一般的な経営の目標は私には正直無いんです。
なので必要以上に人も入れないし、その分仕事も入れないし…
なんとなく自分一人がなんとかやっていければいいかなって感じなんです。
その分、次の目標をまた探さないとと思っていたのがちょうど3年経った
今から2年前の事でした…。
これからまた新しい一歩へ。。って思った矢先の3.11の東日本大震災。
そして、2年前の今日起きた東京電力 福島第一原発の事故…。
目の前が真っ暗になりました。。 (続く)
3月9日は横浜赤レンガ倉庫に出店しました。
すっかりまた3か月近く間が空いてしまいました
懲りずにご覧いただいている皆様、ありがとうございます!
こんな私ですみません。。
下書きばかり書いていたら、長くなりすぎて…
そのうち本にしようかと思っています。(嘘)
とりあえず、本当にもう少し早くアップしないとと思っていたのですが…
まあ、言い訳しか出てこないので、やめておきます。(笑)
えっと、いろいろ伝えたい事はあるのですがまずは一番にこれを…
先週の土曜日、3月9日で
お陰様でkurumiは丸5年を迎える事が出来ました!
今まで応援してくださった、家族、友人、仲間、出店関係の方々、
そして何よりkurumiで直接買って頂いたり、ブログなどを見て頂いて
応援してくださった皆様、
本当にどうもありがとうございます!!
<(_ _)>
正直、こんなにも早くこの日を迎えると思っていませんでした。
あっという間の5年間でした。
何にもわからない状態から始めて、ゆっくりだけど、時に急いでみたり、
なんとなく自分のペースで、自分なりのやり方で進めてきた感じです。
よく、なんでこの仕事を始めたのかとか聞かれますが、
正直思いつきなんです。
だけど、その時私がやっていたバラバラだったいろんな事が、
これをやる事で一つになる確信だけはあったんです。
それといろんなタイミングも合ってやるなら今しかないと思ったんです。
それまであった、安定していた生活を全て捨てて、
この世界に思い切って飛び込んでみました。
その時は何の不安もありませんでした。
わけもなく変な自信があったんです。(笑)
でも実際やってみたら正直思っていた以上に大変で、、
一見楽しそうにやってるだけにみえるかもしれませんが、
やっぱり途中で何度か心が折れそうにもなりました。
もう辞めた方がいいかな?とか何度も思いました。
だけど、そう思うと突然仕事が入ってきたり、仲間に支えられたり、、
結局そのままその想いが薄れてまた頑張って続けてみたり。。
そんな事の繰り返しだった気がします。
もともとのこの仕事を始めた理由の一つとして、当時私は
建築関係の仕事をしていたのですが、なかなか忙しい毎日を送っており、
その時はほとんど休みもままならないような生活が続いていたので、
とっても食生活も乱れていて、家に帰るのも夜中寝に帰るだけだった感じなので、
朝昼晩ほとんど外食やコンビニのお弁当、カップラーメンとかそんなのばかり食べてました。
後輩の女の子は、ごはんの替わりにお菓子ばかり食べていたり…
その時は風邪もよく引いていたし、30歳になる頃、これじゃいけないなって
思うようになりました。
で、自分やこれからの事を考えたくて会社に無理言って長期休暇を貰い
一人でニュージーランドへちょうど30歳の誕生日を挟むようにして
1カ月半行きました。
そこへ行くことで、具体的な何かを習得したわけではないけど、
でも自分の中での価値観とかいろんなモノの見方とか、考え方とか
行動する力とか、なんとなく何かがいろいろ変わりました。
それと同時に、もともと昔から海外で少し生活してみたいというのが
あったので、ずっと願ってれば夢は叶うんだって思うようになりました。
もちろん、ただ夢みてるだけなら無理だけど、それを目標に落とし込んだ時に
はじめて叶えることが出来るんだって思いますけど。。
帰ってきてすぐは、本当は3年後にまたニュージーランドに行って
そのまま移住したいなと思ってたんです。
でも、帰ってきてすぐ新規OPENする逗子店の店長を任されて、
そこでまたいろいろな経験をさせて貰って、その時から自然素材や今はちょっと
死語になりつつあるかもしれませんがLOHASな生活というものを
勉強するようになって、そこからもともと興味ある事には好奇心旺盛になる
タイプなので、仕事以外でもそういう事についていろいろ活動するようになり…
当時、みんな私が一体何をやってるんだろう?
…って感じで少しみられてたようですが。(笑)
だけど私の中ではなんとなくそれが繋がっていて…
そのなんだかバラバラだけどなんとなく自分の中で繋がっていることが
単に興味本位で野菜ソムリエの資格を取ったことによって、せっかくならなんか
それを生かしたいなと思うようになり、そんな事を考えてたら今のスタイルを
思いついてしまったんです。
でもそれで、いままで思ってた事ややって来た事が完全に繋がると思えたんです。
だからなんとなく思いつきだけど、そうじゃないような。
とりあえず、わけもなく自信だけはあるような…
そんな感じで始めたのがきっかけです。
中にはもっとちゃんとした理由で始めたとか、すごいスープ作るのが好きとか
そんな風に思い描いてくださっていた方がいたらご期待に添えずごめんなさい。
kurumiとしての当時の一番の目標はもともとのkurumiを始める大きなきっかけになった
apbankが主催するapbank fesに出店することと、
地元農家さんの流通の手助けを少しでもすることでした。
とってもラッキーなことにデビューした年からapbank fesに出店する事ができ、
いきなり一つの大きな目標が叶いました。
そしてその位からちょうど、今はいろんな所で開催されているマルシェが
スタートするようになりました。
こちらも幸い、今のマルシェのベースになったイベントに初めから参加させて
頂くことが出来、環境的にはいろいろと恵まれていたと思います。
マルシェがたくさん出来るようになって、地元の農家さん達も直接お客さんに
販売する機会が増え、私もある農家さんと親しくさせて頂き、いろんな形で
応援させて貰う事ができ、当時思い描いていた目標が叶った気がしました。
だから正直、kurumiとして一番初めに掲げていた目標は叶えられたと思ってます。
そこには例えばお店を大きくして、たくさん売り上げ増やしたいとか
そういう一般的な経営の目標は私には正直無いんです。
なので必要以上に人も入れないし、その分仕事も入れないし…
なんとなく自分一人がなんとかやっていければいいかなって感じなんです。
その分、次の目標をまた探さないとと思っていたのがちょうど3年経った
今から2年前の事でした…。
これからまた新しい一歩へ。。って思った矢先の3.11の東日本大震災。
そして、2年前の今日起きた東京電力 福島第一原発の事故…。
目の前が真っ暗になりました。。 (続く)
3月9日は横浜赤レンガ倉庫に出店しました。
5歳になりました。
2012年12月31日
今年の終わりに…
今年の終わりに… 今年最後のブログです。
早いもので今日で今年も終わってしまいますね。
そして前回のブログ更新からすでに3か月以上空いてしまいました…
(楽しみにしてくださっている方ごめんなさい!)
ちょっと言い訳になってしまいますが、最近はSNSという新しい
ソーシャルメディアの発達により、昨年から始めたツイッター以外にも
今年から私もお店以外に個人としてもFacebookなるものを始めてるのですが、
意外にこれが面白くて、しかも簡単に投稿できるので、こちらを日々日々活用する
ようになっております。日常の大切な問題から、かなり趣味的なちょっとくだらない情報まで、
実際の友達はもちろん、ツイッターやFBで知り合った人達とも共有しながら
なんだかハマってしまっています…。(^^;)
正直ブログを書く時はかなり気持ちを入れながら、色々考えながら書いているので
私の場合すごく時間がかかるんです。。(書きながら脱線してしまう事もしばしばで)
来年はもう少しブログも気軽にかけていけたらいいなとも思うのですが、
でもそれぞれの媒体をもっとうまく活用していきたいとも思っています♪
…って、そんな話は別にどうでもいいですね。w (こういうのが話の長くなるもと)
本当はもっと年内のうちに書いておこうと思っていた事も実はたくさんあるのですが
限られた時間の中で、とりあえず今年のまとめを自分なりにしたいと思います。
2012年。
kurumiとしては5年目を迎えた年になりました。
昨年の震災以降、本当に今まで以上にいろんな事を考えさせられるようになり
自分自身もこれからどうしていったらいいのか、悩ましい年でもありました。
だけど、一つだけ今年の初めに決めたことがありました。
それは、「好きなことを好きなだけ楽しむ」 っていう事。
昨年は本当に、自分の中でも過去最高に気持ちが落ちた年になりました。
特に震災直後は、皆さんそうだと思いますが心が張り裂けそうになりました。
30年以上生きてきて、過去大変だった事は正直山ほどありますが、こんなにも
どうにもならない思いをしたのは初めてでした。
たくさんたくさん泣いた日々。
自分の無力さと、未来への絶望と、今までなんでもっとよく考えなかったんだろう?って
いう反省と、、本当にもうこの仕事自体を辞めて、もっと手が必要な場所へ行く方が
いいんじゃないかとか、いろいろ悩んで考えて、でも、それでも今の私(kurumi)を
必要としてくれている人たちがいてくれて…。 それにすごく救われました。
そう思ってくれている人がいる以上、出来る限りそれに応えていきたいと思いました。
時間が経つにつれて、少しずつ気持ちも取り直して、今年はとりあえず今自分が
出来ることを出来るだけしていきたいと思いました。
それにはまず自分自身も元気でいなきゃいけないと思いました。
幸い私はなぜか年々元気になっているので、本当に調子が悪いっていう日が
めったになくなり、最近では風邪をひくことすら一年に一回あるかなっていう感じです。
ただ昨年末、義父が体調を崩し年末から入退院を繰り返していたので、今年は元旦の
朝から病院へ義父を再入院させに行くという大変な出だしになりました。
その時に私も体に何か菌が入ってしまったようで少し体調を崩して寝込みましたが
ただそれすらすぐ復活して、その後今日まですこぶる元気に過ごしています。
でも、そんな出だしだったから余計に思ったんです。
病気になるって大変だって。今年の初めにも書いたかもしれませんが、
病気の家族がいると大晦日だろうが、新年だろうが関係なくて、
本人はもちろん大変だけど、面倒を看る家族も大変で、その看る方まで
体調を崩したら何もできなくなってしまうって。
だから少しでも健康でいられるような状況や環境を作っていきたいと。
もちろんそれは、自分や自分の身内だけに関わらずです。
それと同時に、いつ何時、何があるかわからないから
とりあえず今を後悔のないよう目一杯生きて、その先の未来へ繋げていきたいって。
その為には、好きなことも出来る範囲で好きなだけしながら、気持ちごと元気にして
そこからまたしっかり活動していこうって。
そんな風に思いました。
政治や国内外のニュースを見ていると、たくさんたくさん不安な要素もあるし
いまだ頻発に地震が起こるたびに、福島原発大丈夫かな?!って心配になるし、
この前の選挙で結局何が変わるのか、変われるのかわかりませんが、でも全てを
人任せや人のせいにしないで、まずは自分で身の回りの人達といろいろ共有しながら
行動していくことで、見いだせていけることがあるんじゃないかなと思っています。
自分がいま大切にしてる人、モノ、コト。
楽しさも苦しさも分かち合いながら、一緒に生きて行く事で、それがほんの少しでも
誰かの何かの役に立てたなら、それでいいかなって思っています。
そして更にそれをまた共有してコミュニティが出来たらなら、また繋がっていける。
その小さいコミュニティがたくさん出来たら、いつか大きい輪になるかもしれない。
インターネットを通じての犯罪とかもいろいろ増えてきたりもしてますが、
その為に活用するソーシャルメディアなら、それも悪くないかなって思います。
そんな事を思った今年。
昨年私を頼って来てくれた、かわいい後輩のThanks milkちゃんも5月に無事にデビューして、
ap bankフェスでも本当にいろいろと手伝ってくれて、それ以外にも最近ではケータリング等
お手伝いして貰いながらとてもとても心強いパートナーになってくれました。
今ではとっても頼りになる有難い存在です。
また奇しくも大好きなミスチルさん達の20周年の年にあたり、それにリンクするように
春のツアーから私もたくさん楽しませて貰い、夏には初めて開催された淡路島や宮城での
fesにも関わる事が出来て、年末には諦めかけてたLIVEにも2回も行けて♪
今年は本当に周りの人たちが若干呆れてしまうくらいの入れ込みようでしたが(笑)
でも、大好きなんでしょうがない。w ただ単に桜井さんの顔が好きとか歌が好きとか
だけじゃなくて、そこに携わったことによって起きたたくさんの出来事と素敵な出逢いを
くれたのも全部ひっくるめてなので。それがなぜか偶然にも色々繋がっているのはきっと
必然なんだと思っています。
もちろんファンじゃなかったらkurumiも間違いなく存在してないので、私には本当に
欠かせない存在なんです。(…とちょっと言い訳じみてみたりしてw)
そして、この仕事を始める前からの友人や仲間達、この仕事を通じて知り合った仲間たち
特にしばらくご無沙汰していた人たちもFBなどネットを通じてまた繋がる事が出来たりもして
なんだか面白い一年でした。
今年も本当にたくさんの人達との出逢いと触れ合えた事に心から感謝しています。
また今年ほどいろんな場所へ訪れた事はありません。
どうしても自分の目で確かめておきたかった宮城はプライベートと仕事で2回行き、
初めての淡路島、毎年恒例の静岡つま恋、名古屋に埼玉、鹿児島、などなど。。
(ほとんどミスチル絡みですがw)
たくさんの場所に行き、いろんな人に逢い、いろんなモノを見ることが出来ました。
その為今年の走行距離数がすごい事になっていますが、来年もまた新しい場所含め
いろいろ行けたらいいなと思っています。
そして何かに気づくことが出来たらいいなと思います。
だから本当に幸せいっぱいの一年でした。
今年初めに決めた「好きな事を好きなだけ楽しむ」は予想以上に満喫できました◎
丸5年を迎える来年3月。
kurumiとしてはある意味一つの区切りの年になるかと思います。
来年は今年たくさん培った思いを糧に、また自分なりに出来ることを見つけながら
どんな形であれ、思いはまた繋げて微力ながらも活動していきたいと思っています。
今年一年、いろいろ関わってくれた皆さん、kurumi号に足を運んでくれた皆さん、
こうしてブログを見てくださった皆さん、
本当にありがとうございました♪
忘れていいこと、いけない事まだまだいろいろありますが、
皆さんにとって来年も素敵な一年になることを心から願っています。
どうぞよい年をお迎えくださいね☆
そして、来年もまたよろしくお願いいたします。 <(_ _)>
どういう未来が待っていようとも、向こうの景色を僕は見に行かなくちゃ
きっとウンザリしたり凹んだり、新たな敵が道を塞いでても
さぁ!
(Mr.Children Happy Songより♪)
今年最後の立石海岸。
早いもので今日で今年も終わってしまいますね。
そして前回のブログ更新からすでに3か月以上空いてしまいました…
(楽しみにしてくださっている方ごめんなさい!)
ちょっと言い訳になってしまいますが、最近はSNSという新しい
ソーシャルメディアの発達により、昨年から始めたツイッター以外にも
今年から私もお店以外に個人としてもFacebookなるものを始めてるのですが、
意外にこれが面白くて、しかも簡単に投稿できるので、こちらを日々日々活用する
ようになっております。日常の大切な問題から、かなり趣味的なちょっとくだらない情報まで、
実際の友達はもちろん、ツイッターやFBで知り合った人達とも共有しながら
なんだかハマってしまっています…。(^^;)
正直ブログを書く時はかなり気持ちを入れながら、色々考えながら書いているので
私の場合すごく時間がかかるんです。。(書きながら脱線してしまう事もしばしばで)
来年はもう少しブログも気軽にかけていけたらいいなとも思うのですが、
でもそれぞれの媒体をもっとうまく活用していきたいとも思っています♪
…って、そんな話は別にどうでもいいですね。w (こういうのが話の長くなるもと)
本当はもっと年内のうちに書いておこうと思っていた事も実はたくさんあるのですが
限られた時間の中で、とりあえず今年のまとめを自分なりにしたいと思います。
2012年。
kurumiとしては5年目を迎えた年になりました。
昨年の震災以降、本当に今まで以上にいろんな事を考えさせられるようになり
自分自身もこれからどうしていったらいいのか、悩ましい年でもありました。
だけど、一つだけ今年の初めに決めたことがありました。
それは、「好きなことを好きなだけ楽しむ」 っていう事。
昨年は本当に、自分の中でも過去最高に気持ちが落ちた年になりました。
特に震災直後は、皆さんそうだと思いますが心が張り裂けそうになりました。
30年以上生きてきて、過去大変だった事は正直山ほどありますが、こんなにも
どうにもならない思いをしたのは初めてでした。
たくさんたくさん泣いた日々。
自分の無力さと、未来への絶望と、今までなんでもっとよく考えなかったんだろう?って
いう反省と、、本当にもうこの仕事自体を辞めて、もっと手が必要な場所へ行く方が
いいんじゃないかとか、いろいろ悩んで考えて、でも、それでも今の私(kurumi)を
必要としてくれている人たちがいてくれて…。 それにすごく救われました。
そう思ってくれている人がいる以上、出来る限りそれに応えていきたいと思いました。
時間が経つにつれて、少しずつ気持ちも取り直して、今年はとりあえず今自分が
出来ることを出来るだけしていきたいと思いました。
それにはまず自分自身も元気でいなきゃいけないと思いました。
幸い私はなぜか年々元気になっているので、本当に調子が悪いっていう日が
めったになくなり、最近では風邪をひくことすら一年に一回あるかなっていう感じです。
ただ昨年末、義父が体調を崩し年末から入退院を繰り返していたので、今年は元旦の
朝から病院へ義父を再入院させに行くという大変な出だしになりました。
その時に私も体に何か菌が入ってしまったようで少し体調を崩して寝込みましたが
ただそれすらすぐ復活して、その後今日まですこぶる元気に過ごしています。
でも、そんな出だしだったから余計に思ったんです。
病気になるって大変だって。今年の初めにも書いたかもしれませんが、
病気の家族がいると大晦日だろうが、新年だろうが関係なくて、
本人はもちろん大変だけど、面倒を看る家族も大変で、その看る方まで
体調を崩したら何もできなくなってしまうって。
だから少しでも健康でいられるような状況や環境を作っていきたいと。
もちろんそれは、自分や自分の身内だけに関わらずです。
それと同時に、いつ何時、何があるかわからないから
とりあえず今を後悔のないよう目一杯生きて、その先の未来へ繋げていきたいって。
その為には、好きなことも出来る範囲で好きなだけしながら、気持ちごと元気にして
そこからまたしっかり活動していこうって。
そんな風に思いました。
政治や国内外のニュースを見ていると、たくさんたくさん不安な要素もあるし
いまだ頻発に地震が起こるたびに、福島原発大丈夫かな?!って心配になるし、
この前の選挙で結局何が変わるのか、変われるのかわかりませんが、でも全てを
人任せや人のせいにしないで、まずは自分で身の回りの人達といろいろ共有しながら
行動していくことで、見いだせていけることがあるんじゃないかなと思っています。
自分がいま大切にしてる人、モノ、コト。
楽しさも苦しさも分かち合いながら、一緒に生きて行く事で、それがほんの少しでも
誰かの何かの役に立てたなら、それでいいかなって思っています。
そして更にそれをまた共有してコミュニティが出来たらなら、また繋がっていける。
その小さいコミュニティがたくさん出来たら、いつか大きい輪になるかもしれない。
インターネットを通じての犯罪とかもいろいろ増えてきたりもしてますが、
その為に活用するソーシャルメディアなら、それも悪くないかなって思います。
そんな事を思った今年。
昨年私を頼って来てくれた、かわいい後輩のThanks milkちゃんも5月に無事にデビューして、
ap bankフェスでも本当にいろいろと手伝ってくれて、それ以外にも最近ではケータリング等
お手伝いして貰いながらとてもとても心強いパートナーになってくれました。
今ではとっても頼りになる有難い存在です。
また奇しくも大好きなミスチルさん達の20周年の年にあたり、それにリンクするように
春のツアーから私もたくさん楽しませて貰い、夏には初めて開催された淡路島や宮城での
fesにも関わる事が出来て、年末には諦めかけてたLIVEにも2回も行けて♪
今年は本当に周りの人たちが若干呆れてしまうくらいの入れ込みようでしたが(笑)
でも、大好きなんでしょうがない。w ただ単に桜井さんの顔が好きとか歌が好きとか
だけじゃなくて、そこに携わったことによって起きたたくさんの出来事と素敵な出逢いを
くれたのも全部ひっくるめてなので。それがなぜか偶然にも色々繋がっているのはきっと
必然なんだと思っています。
もちろんファンじゃなかったらkurumiも間違いなく存在してないので、私には本当に
欠かせない存在なんです。(…とちょっと言い訳じみてみたりしてw)
そして、この仕事を始める前からの友人や仲間達、この仕事を通じて知り合った仲間たち
特にしばらくご無沙汰していた人たちもFBなどネットを通じてまた繋がる事が出来たりもして
なんだか面白い一年でした。
今年も本当にたくさんの人達との出逢いと触れ合えた事に心から感謝しています。
また今年ほどいろんな場所へ訪れた事はありません。
どうしても自分の目で確かめておきたかった宮城はプライベートと仕事で2回行き、
初めての淡路島、毎年恒例の静岡つま恋、名古屋に埼玉、鹿児島、などなど。。
(ほとんどミスチル絡みですがw)
たくさんの場所に行き、いろんな人に逢い、いろんなモノを見ることが出来ました。
その為今年の走行距離数がすごい事になっていますが、来年もまた新しい場所含め
いろいろ行けたらいいなと思っています。
そして何かに気づくことが出来たらいいなと思います。
だから本当に幸せいっぱいの一年でした。
今年初めに決めた「好きな事を好きなだけ楽しむ」は予想以上に満喫できました◎
丸5年を迎える来年3月。
kurumiとしてはある意味一つの区切りの年になるかと思います。
来年は今年たくさん培った思いを糧に、また自分なりに出来ることを見つけながら
どんな形であれ、思いはまた繋げて微力ながらも活動していきたいと思っています。
今年一年、いろいろ関わってくれた皆さん、kurumi号に足を運んでくれた皆さん、
こうしてブログを見てくださった皆さん、
本当にありがとうございました♪
忘れていいこと、いけない事まだまだいろいろありますが、
皆さんにとって来年も素敵な一年になることを心から願っています。
どうぞよい年をお迎えくださいね☆
そして、来年もまたよろしくお願いいたします。 <(_ _)>
どういう未来が待っていようとも、向こうの景色を僕は見に行かなくちゃ
きっとウンザリしたり凹んだり、新たな敵が道を塞いでても
さぁ!
(Mr.Children Happy Songより♪)
今年最後の立石海岸。
2012年05月03日
石巻弾丸ツアー ⑧ ~ 旅の目的 ~
石巻弾丸ツアー⑧ です。
ようやくここまで辿り着きました。
本当はGWに入る前には、書き終えたかったのですが
なんやかんやで予定が詰まってしまい、
なかなかゆっくり書く事が出来ませんでした。
まずは、ここまでお付き合いいただいた皆様、
長々とありがとうございます。
そんな皆様の中にも、きっと
『… で、結局のところ何しに行ったんだ?』と、
疑問をお持ちの方もいるのでは?
少なくとも私の仲間内では謎の行動だったようで
久しぶりに逢った早々突っ込まれ、しかも
「真似する人なんていない!」と断言されてしまいました。(^^;;
まあ、そりゃそうですよね。
更にはGWに入った途端、夜行バスの大事故。
確かに私も20代初めに乗って以来の久しぶりの夜行バスでしたが、
運転手さん夜中眠くならないのかな?って疑問に思いながらも、
たいして気にせず自分は寝てました。
なんの乗り換えもなく、しかも安く目的地まで運んでくれる利点との
引き換えはやはり大きなリスクを伴う事を、
そしてその背景を知る事をとても考えさせられる大事故でしたね。。
やっぱり何でも背景を知ることは大事ですね。
亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に
今日から始まるGW後半戦、運転する方もしない方も
本当に大きな事故が多発しているので、
皆さんどうぞ十分に気をつけてお過ごしくださいませ。
さて、本題に…。
私がこの旅を決めた一番の目的は、前にも少し書いたと思いますが、
震災から一年が経った被災地の今をどうしても自分の目で
確かめておきたかったから。それは単なる興味本位ではなくて、
毎日時間だけが流れて行く中で、震災の事も少しずつ薄れて行く生活を
送りはじめている自分自身が、今出来る事は何か?
そして、これから何をしていくのが必要なのか?
それを何か少しでも現地で感じ取りたいと思ったからです。
だから別に現地の案内をする為にブログを書くつもりも最初は別になかったし、
あくまでも自分の中の何かケジメみたいな感じで思っていました。
そしてまた、現地で確かめてみたい事がありました。
一つは放射能の問題。
実際、福島県以外の被災地はどの程度の数値なのか。
前にもお伝えしたように2月の頭にガイガーカウンターが届いてから、
とりあえずひと月はほぼ毎日のように測っていました。
自宅はもちろん、横浜や都内や仲間の家や、何処かへ行った際も
出来るだけ計測していました。でもだいたい同じような数値で、
日によって多少は変わるものの、うちの辺りでは0.10μsv/hが平均だという事が
わかりました。横浜や都内は場所によってもう少し高めだったりしましたが、
だいたい似たような数値でした。
でもこれが例えば福島や、東北地方ではどうなるのだろう?
というのがずっと疑問でやはり自分の目で確かめてみたいと思っていました。
結果から言うと、現地(石巻)のその日の空間線量は0.11~0.13μsv位。
神奈川とほとんど変わりませんでした。
また、往復の横須賀線電車内、夜行バスの中も測ってみました。
その結果、あくまでも個人的な意見ですが車両によってはかなり汚染されていて
特に空調のフィルターが汚染されている可能性が高いのではないかと思いました。
というのも、実は行きの電車、バスに関してはとても高い数値が
運転中に出たからです。
正直、初めて警告表示が出るのを見ました。
偶然かと思って、何度もチェックしましたがやっぱりとても高い数値が
出てました。
具体的な数値はここには書きませんが、見たことない数字が出てました。
でも、帰りは電車もバスもだいたい0.2位でしたので、
決して低くはないですが、行きとはだいぶ違ったので
やっぱり車両によって違うんだなというのを感じました。
ちなみに、道中の高速SA。行きは福島県でしかバスを降りなかったのですが、
その時は安達太良SAで0.4ちょっとありました。
原発からは少し離れている場所ですが、やはりその位はあるんだと実感しました。
もう一つは、がれきの問題。
これも以前ブログで取り上げましたが、神奈川県を始め、
現在いろんな場所で広域処理が検討されています。
だけど本当にそれって必要なのか?
そんなに被災地ではがれきに埋もれて暮らしているのか?
自分で直接確かめてみたかったのもありました。
もちろん、私が見たのは石巻の一部分しかありませんが
そこは海に面しているところで津波被害が大きく、写真にも載せたように
今まであったほとんどの家がなくなってしまった場所。
その一部にがれきの山が確かにありました。だけどその周りにはすでに
更地となっている場所が広大に広がっています。
また、その場所は今後そのままでは人が住むのは難しい場所。
高台にするとか何かしないとそれでもまた大きな津波がくる可能性がある場所なので
住居というより何か他の事に使う方がいいように思えさえする状況です。
石巻で出会ったおじいちゃんにも、ちょうどがれき話になっている時に、
現地の意見として聞いてみました。おじいちゃんもやはり同じような意見で、
雇用の問題とかもあるから地元に焼却施設などを作って地元で処理をして
こういう場所に埋め立てた方がいいんだけど、と言っていました。
私は一言、「やっぱりそうですよね。」といいました。
もちろん、現地の人たくさんの意見を聞いた訳でなく、あくまでもおじいちゃんの
個人的な意見を聞いたのですが、それでも長年その場所で暮らしてきた人が
そう思うのであればそれはきっと町の意見だと思いました。
だからやっぱりそういう意味でも私はがれきの広域処理にはやはり反対で、
そもそもバグフィルターが放射性物質を除去できるとかそんな根拠はないと
言われているのだし、実際電車やバスの空調でそんな風に拡散しているというのを
私は感じ取ったので(これは私は個人的な推測でもありますが)
やっぱり簡単に考えるべきでは無いと思っています。
だって、大抵受け入れしたいといっている市長さんとかがいるとこは
自分の親族が産廃業者だったりなんやかんや利権がらみだったり、
単にお金が目当てだったりしているのが見え透いてて。(私だけかな?)
本当にいろんな事をクリアして、それでもどうしてもそれが必要であれば
それもやむ終えないかとも思いますが、まずは自分たちの街のゴミの問題も
出来てないのに、どうなのかなって思ったりします。
もちろん、いろんな意見はあると思いますが
私は現地に行ってよりそう感じました。
残念ながら今回は瓦礫のすぐ近くまでは行く事ができなかったので
瓦礫の放射能汚染度はわかりませんでしたが…。
でも、そう考えると例えば、今現地での必要なのはやはり瓦礫の広域処理よりも
復興に向けての直接の支援だと思うし、まずは私たち被災地以外の人が
忘れない事だと思います。
できれば直接行って少しでも地元にお金を落としてあげる事も必要だと思います。
ただし、福島に関してはやはり放射能の影響はもっと気にして対策をしながら
行く人は行くべきだと私は思いますので、GW中に行かれる方も
それなりの情報を得ながら行動する事おススメします。
もちろん、それぞれの考えがあるし、状況も違うので
具体的に出来ること、できない事、自分なりの判断で、できる範囲でやることが
そして何より被災地に関しては、想う気持ちが大事なんじゃないかと思っています。
何はともあれ自分で見てきた事を今はもちろん、もっと後になった時に
きちんと伝えられるようにこのブログでも残す事で記憶に残し、もう二度と
同じような事が起きないように、もし起きた時でも何か少しでも今回の教訓がいきるように、
私達はこれからの行動を今一度考えていく必要があると思いました。
今回の旅で私が得た一番の事は
「てんでんこ」
きっと、津波や地震だけでなく、これからの私達に必要な教え なのかもしれません。
自分たちの身は自分達で守って行く。
このブログをご覧いただいた皆さんの中で
何か少しでも感じ取ってもらえたら幸いです。
本当に長々とお付き合いありがとうございました。
m(_ _)m
追伸:ここでは表現上「瓦礫」という言葉をたくさん使ってしまいましたが、
それは本当は瓦礫ではなく、誰かの一つの生活があったものだったこと
忘れてはいけないですよね。。
GW後半、どうぞ事故の無いよう、楽しくお過ごしくださいね♪
石巻駅前の商店街は一部仮設で復興商店街がありました。
北上川
自分用のお土産。バックは売り上げの半分が寄付されるそうです。
ようやくここまで辿り着きました。
本当はGWに入る前には、書き終えたかったのですが
なんやかんやで予定が詰まってしまい、
なかなかゆっくり書く事が出来ませんでした。
まずは、ここまでお付き合いいただいた皆様、
長々とありがとうございます。
そんな皆様の中にも、きっと
『… で、結局のところ何しに行ったんだ?』と、
疑問をお持ちの方もいるのでは?
少なくとも私の仲間内では謎の行動だったようで
久しぶりに逢った早々突っ込まれ、しかも
「真似する人なんていない!」と断言されてしまいました。(^^;;
まあ、そりゃそうですよね。
更にはGWに入った途端、夜行バスの大事故。
確かに私も20代初めに乗って以来の久しぶりの夜行バスでしたが、
運転手さん夜中眠くならないのかな?って疑問に思いながらも、
たいして気にせず自分は寝てました。
なんの乗り換えもなく、しかも安く目的地まで運んでくれる利点との
引き換えはやはり大きなリスクを伴う事を、
そしてその背景を知る事をとても考えさせられる大事故でしたね。。
やっぱり何でも背景を知ることは大事ですね。
亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に
今日から始まるGW後半戦、運転する方もしない方も
本当に大きな事故が多発しているので、
皆さんどうぞ十分に気をつけてお過ごしくださいませ。
さて、本題に…。
私がこの旅を決めた一番の目的は、前にも少し書いたと思いますが、
震災から一年が経った被災地の今をどうしても自分の目で
確かめておきたかったから。それは単なる興味本位ではなくて、
毎日時間だけが流れて行く中で、震災の事も少しずつ薄れて行く生活を
送りはじめている自分自身が、今出来る事は何か?
そして、これから何をしていくのが必要なのか?
それを何か少しでも現地で感じ取りたいと思ったからです。
だから別に現地の案内をする為にブログを書くつもりも最初は別になかったし、
あくまでも自分の中の何かケジメみたいな感じで思っていました。
そしてまた、現地で確かめてみたい事がありました。
一つは放射能の問題。
実際、福島県以外の被災地はどの程度の数値なのか。
前にもお伝えしたように2月の頭にガイガーカウンターが届いてから、
とりあえずひと月はほぼ毎日のように測っていました。
自宅はもちろん、横浜や都内や仲間の家や、何処かへ行った際も
出来るだけ計測していました。でもだいたい同じような数値で、
日によって多少は変わるものの、うちの辺りでは0.10μsv/hが平均だという事が
わかりました。横浜や都内は場所によってもう少し高めだったりしましたが、
だいたい似たような数値でした。
でもこれが例えば福島や、東北地方ではどうなるのだろう?
というのがずっと疑問でやはり自分の目で確かめてみたいと思っていました。
結果から言うと、現地(石巻)のその日の空間線量は0.11~0.13μsv位。
神奈川とほとんど変わりませんでした。
また、往復の横須賀線電車内、夜行バスの中も測ってみました。
その結果、あくまでも個人的な意見ですが車両によってはかなり汚染されていて
特に空調のフィルターが汚染されている可能性が高いのではないかと思いました。
というのも、実は行きの電車、バスに関してはとても高い数値が
運転中に出たからです。
正直、初めて警告表示が出るのを見ました。
偶然かと思って、何度もチェックしましたがやっぱりとても高い数値が
出てました。
具体的な数値はここには書きませんが、見たことない数字が出てました。
でも、帰りは電車もバスもだいたい0.2位でしたので、
決して低くはないですが、行きとはだいぶ違ったので
やっぱり車両によって違うんだなというのを感じました。
ちなみに、道中の高速SA。行きは福島県でしかバスを降りなかったのですが、
その時は安達太良SAで0.4ちょっとありました。
原発からは少し離れている場所ですが、やはりその位はあるんだと実感しました。
もう一つは、がれきの問題。
これも以前ブログで取り上げましたが、神奈川県を始め、
現在いろんな場所で広域処理が検討されています。
だけど本当にそれって必要なのか?
そんなに被災地ではがれきに埋もれて暮らしているのか?
自分で直接確かめてみたかったのもありました。
もちろん、私が見たのは石巻の一部分しかありませんが
そこは海に面しているところで津波被害が大きく、写真にも載せたように
今まであったほとんどの家がなくなってしまった場所。
その一部にがれきの山が確かにありました。だけどその周りにはすでに
更地となっている場所が広大に広がっています。
また、その場所は今後そのままでは人が住むのは難しい場所。
高台にするとか何かしないとそれでもまた大きな津波がくる可能性がある場所なので
住居というより何か他の事に使う方がいいように思えさえする状況です。
石巻で出会ったおじいちゃんにも、ちょうどがれき話になっている時に、
現地の意見として聞いてみました。おじいちゃんもやはり同じような意見で、
雇用の問題とかもあるから地元に焼却施設などを作って地元で処理をして
こういう場所に埋め立てた方がいいんだけど、と言っていました。
私は一言、「やっぱりそうですよね。」といいました。
もちろん、現地の人たくさんの意見を聞いた訳でなく、あくまでもおじいちゃんの
個人的な意見を聞いたのですが、それでも長年その場所で暮らしてきた人が
そう思うのであればそれはきっと町の意見だと思いました。
だからやっぱりそういう意味でも私はがれきの広域処理にはやはり反対で、
そもそもバグフィルターが放射性物質を除去できるとかそんな根拠はないと
言われているのだし、実際電車やバスの空調でそんな風に拡散しているというのを
私は感じ取ったので(これは私は個人的な推測でもありますが)
やっぱり簡単に考えるべきでは無いと思っています。
だって、大抵受け入れしたいといっている市長さんとかがいるとこは
自分の親族が産廃業者だったりなんやかんや利権がらみだったり、
単にお金が目当てだったりしているのが見え透いてて。(私だけかな?)
本当にいろんな事をクリアして、それでもどうしてもそれが必要であれば
それもやむ終えないかとも思いますが、まずは自分たちの街のゴミの問題も
出来てないのに、どうなのかなって思ったりします。
もちろん、いろんな意見はあると思いますが
私は現地に行ってよりそう感じました。
残念ながら今回は瓦礫のすぐ近くまでは行く事ができなかったので
瓦礫の放射能汚染度はわかりませんでしたが…。
でも、そう考えると例えば、今現地での必要なのはやはり瓦礫の広域処理よりも
復興に向けての直接の支援だと思うし、まずは私たち被災地以外の人が
忘れない事だと思います。
できれば直接行って少しでも地元にお金を落としてあげる事も必要だと思います。
ただし、福島に関してはやはり放射能の影響はもっと気にして対策をしながら
行く人は行くべきだと私は思いますので、GW中に行かれる方も
それなりの情報を得ながら行動する事おススメします。
もちろん、それぞれの考えがあるし、状況も違うので
具体的に出来ること、できない事、自分なりの判断で、できる範囲でやることが
そして何より被災地に関しては、想う気持ちが大事なんじゃないかと思っています。
何はともあれ自分で見てきた事を今はもちろん、もっと後になった時に
きちんと伝えられるようにこのブログでも残す事で記憶に残し、もう二度と
同じような事が起きないように、もし起きた時でも何か少しでも今回の教訓がいきるように、
私達はこれからの行動を今一度考えていく必要があると思いました。
今回の旅で私が得た一番の事は
「てんでんこ」
きっと、津波や地震だけでなく、これからの私達に必要な教え なのかもしれません。
自分たちの身は自分達で守って行く。
このブログをご覧いただいた皆さんの中で
何か少しでも感じ取ってもらえたら幸いです。
本当に長々とお付き合いありがとうございました。
m(_ _)m
追伸:ここでは表現上「瓦礫」という言葉をたくさん使ってしまいましたが、
それは本当は瓦礫ではなく、誰かの一つの生活があったものだったこと
忘れてはいけないですよね。。
GW後半、どうぞ事故の無いよう、楽しくお過ごしくださいね♪
石巻駅前の商店街は一部仮設で復興商店街がありました。
途中であった猫
北上川
川の近くにいたカモ
自分用のお土産。バックは売り上げの半分が寄付されるそうです。
頑張って、石巻!
2012年04月24日
石巻弾丸ツアー ⑦ ~ 食の旅 ~
石巻弾丸ツアー⑦ です。
こんなに長くするつもりはなかったのですが、
これでもまだほんの一部。
でも、大まかなところはだいたいお伝え出来たと思うので
もう少しだけお付き合いください。m(_ _)m
門脇地区を後にして、私たちは駅に向かって
また違う道を通り戻ります。
途中、仮設住宅をほんの少しだけ見せて貰ったり、
建造物を紹介してくれたり、おじいちゃんのガイドは
商店街に戻るまでずっと続きました。
時折出会う人と、懐かしむように再会して挨拶を交わす
おじいちゃん。
今回、私はこのおじいちゃんに出会っていなかったら
どれだけの事しか知れなかったんだろう?
ふと頭によぎります。
でもきっと、こういう流れになっていたんだと思いました。
なんとなく引き寄せられるように来たこの場所。
もし朝一で住吉公園に行ってなかったら、
きっと一人で見て回るようでした。
(もちろんそのつもりではいたのですが…)
でも私の行動は多分ちょっと無謀で、少し違えばきっとなんだか
とてもおかしな感じになっていたのかもしれません。
だけど、基本感覚で生きているので私にとってはとても自然な
流れでした。
とはいえ、皆さんにおススメするやり方では
もちろんありませんけど
駅に向かう商店街でおじいちゃんが言いました。
「石巻の特産って知ってるかい?」
完全にリサーチ不足の私は
「う~ん、なんか海産物ですよね?
何がおすすめですか??」と聞くと
「笹かまだよ。」って言うので、
「あ~、笹かま!そうですよね。
美味しいですよね!!私も大好きです。」
なんて話をしていたら、とあるかまぼこ屋さんの前に着き
おじいちゃんがささっと入っていきました。
出て来たおじいちゃんは、「はい。」って私に小さな袋と
一枚の揚げかまをくれました。
「え?!いや、そんな自分で買うので…」と私が言うと
「3枚しか入ってないから。」と言って笹かまをくれました。
とりあえず揚げかまはその場で美味しくいただきました。
被災地に来て、見ず知らずの私を3時間以上案内してくれて
しまいにはお土産まで貰ってしまうなんて…
私は一体何しに来たんだ?!って一瞬思いましたが、
せっかくなのでお礼を言い、頂くことにしました。
最後におじいちゃんの連絡先を聞いて、写真も撮らせて貰い
今度こちらからお礼を贈る約束をしてお別れしました。
おじいちゃんと別れてから、私はとりあえず駅に向かいました。
時間はまだお昼前。。
駅前のソフトバンクで携帯を充電をしてもらい、
その間にちょっと早めのお昼ご飯を食べました。
駅前のお蕎麦屋さんでおろし天ぷらそば。
これがめちゃ美味しかった!
麺にこしがあって、天ぷらもとっても美味しかった♪
途中、観光案内所で貰ったパンフの地図に載っていた
道の駅の温泉。
「せっかくなので、ここに行ってみよう!」
と思いつき。。
でも何で行く?聞くと電車では行きにくいらしい。
レンタカー?そういえば、朝駅前をちょっとフラフラしている時に
レンタサイクルの看板を見たのを思い出し、
普段自転車なんて全然乗ってないけど、
車じゃ街をよく見れないので、思い切ってレンタサイクルで
行く事にしました。
念のため、そこまで自転車でどのくらいかかるか聞いてみると
「結構かかる、40分くらいはかかるのでは?」という答え。
「ああ、その位なら。」なんて普段全然乗らないにも拘らず
安易に答えてしまう私。
普段の運動不足がたたってか、休み休みしか行けず
結局片道1時間はかかってしまいました。
途中、偶然にも住吉中学校の前を通り、
「おお!ここかぁ。」なんて思ったのもつかの間。
そこは駅の反対側でもあり、海岸からもだいぶ離れているのに、
そこまでも津波が押し寄せたなんて…
信じられませんでした。。
でも確かな事実。
近くに川があるからそこからなのか?わかりません。。
やはり私の想像の域を超えています。
そのまま進み、北上川沿いをずっとずっと上っていき、
思った以上に遠いな~なんて思いながら
ひたすらママチャリのペダルを漕ぎました。
川沿いの途中には国の重要文化財なんかもあったりして。
朝着いた時は曇り空だったのが、時間が経つにつれて
だんだん晴れて来て、昼にはすっかり青空が広がり、
震災なんて感じさせないくらい
綺麗な景色と川の流れがありました。
ようやく着いた道の駅。
とりあえず定番のご当地ソフトを食べ、温泉に入り、
足つぼマッサージをしてちょっとのんびり。
ずんだソフト。私がラスイチで後ろの人ごめんなさいでした
帰りまた一時間かけて帰るのか~と思うとちょっとげんなり
してしまいましたが、気合入れてとても強い向かい風に
逆らいながら、なんとか夕方にはまた駅に戻りました。
途中、釜揚げうどんを食べてみたりしながら。
返却時間まで、自転車でまた少し周辺を回りながら、
数少ないお店だけがやっている商店街で買い物したりしました。
たくさんのお金は落とせないけど、なるべくいろんなお店で
少しずついろんなモノを買ったり食べたりしました。
本当に微々たるものですが、ほんの少しでも復興に
貢献できたらと思いました。
自転車を返却しても、バスが来るまではまだ時間があり、
駅前のお店で夕飯を食べ一杯二杯飲みながら
時間をつぶしました。
たった一日で、まだ石巻のほんの一部だけですが、
それでも現地に来たことでいろんな事を感じる事が出来ました。
やはり、百聞は一見に如かず…。
⑧(ラストです!)へ続く。
こんなに長くするつもりはなかったのですが、
これでもまだほんの一部。
でも、大まかなところはだいたいお伝え出来たと思うので
もう少しだけお付き合いください。m(_ _)m
門脇地区を後にして、私たちは駅に向かって
また違う道を通り戻ります。
途中、仮設住宅をほんの少しだけ見せて貰ったり、
建造物を紹介してくれたり、おじいちゃんのガイドは
商店街に戻るまでずっと続きました。
時折出会う人と、懐かしむように再会して挨拶を交わす
おじいちゃん。
今回、私はこのおじいちゃんに出会っていなかったら
どれだけの事しか知れなかったんだろう?
ふと頭によぎります。
でもきっと、こういう流れになっていたんだと思いました。
なんとなく引き寄せられるように来たこの場所。
もし朝一で住吉公園に行ってなかったら、
きっと一人で見て回るようでした。
(もちろんそのつもりではいたのですが…)
でも私の行動は多分ちょっと無謀で、少し違えばきっとなんだか
とてもおかしな感じになっていたのかもしれません。
だけど、基本感覚で生きているので私にとってはとても自然な
流れでした。
とはいえ、皆さんにおススメするやり方では
もちろんありませんけど
駅に向かう商店街でおじいちゃんが言いました。
「石巻の特産って知ってるかい?」
完全にリサーチ不足の私は
「う~ん、なんか海産物ですよね?
何がおすすめですか??」と聞くと
「笹かまだよ。」って言うので、
「あ~、笹かま!そうですよね。
美味しいですよね!!私も大好きです。」
なんて話をしていたら、とあるかまぼこ屋さんの前に着き
おじいちゃんがささっと入っていきました。
出て来たおじいちゃんは、「はい。」って私に小さな袋と
一枚の揚げかまをくれました。
「え?!いや、そんな自分で買うので…」と私が言うと
「3枚しか入ってないから。」と言って笹かまをくれました。
とりあえず揚げかまはその場で美味しくいただきました。
被災地に来て、見ず知らずの私を3時間以上案内してくれて
しまいにはお土産まで貰ってしまうなんて…
私は一体何しに来たんだ?!って一瞬思いましたが、
せっかくなのでお礼を言い、頂くことにしました。
最後におじいちゃんの連絡先を聞いて、写真も撮らせて貰い
今度こちらからお礼を贈る約束をしてお別れしました。
おじいちゃんと別れてから、私はとりあえず駅に向かいました。
時間はまだお昼前。。
駅前のソフトバンクで携帯を充電をしてもらい、
その間にちょっと早めのお昼ご飯を食べました。
駅前のお蕎麦屋さんでおろし天ぷらそば。
これがめちゃ美味しかった!
麺にこしがあって、天ぷらもとっても美味しかった♪
途中、観光案内所で貰ったパンフの地図に載っていた
道の駅の温泉。
「せっかくなので、ここに行ってみよう!」
と思いつき。。
でも何で行く?聞くと電車では行きにくいらしい。
レンタカー?そういえば、朝駅前をちょっとフラフラしている時に
レンタサイクルの看板を見たのを思い出し、
普段自転車なんて全然乗ってないけど、
車じゃ街をよく見れないので、思い切ってレンタサイクルで
行く事にしました。
念のため、そこまで自転車でどのくらいかかるか聞いてみると
「結構かかる、40分くらいはかかるのでは?」という答え。
「ああ、その位なら。」なんて普段全然乗らないにも拘らず
安易に答えてしまう私。
普段の運動不足がたたってか、休み休みしか行けず
結局片道1時間はかかってしまいました。
途中、偶然にも住吉中学校の前を通り、
「おお!ここかぁ。」なんて思ったのもつかの間。
そこは駅の反対側でもあり、海岸からもだいぶ離れているのに、
そこまでも津波が押し寄せたなんて…
信じられませんでした。。
でも確かな事実。
近くに川があるからそこからなのか?わかりません。。
やはり私の想像の域を超えています。
そのまま進み、北上川沿いをずっとずっと上っていき、
思った以上に遠いな~なんて思いながら
ひたすらママチャリのペダルを漕ぎました。
川沿いの途中には国の重要文化財なんかもあったりして。
朝着いた時は曇り空だったのが、時間が経つにつれて
だんだん晴れて来て、昼にはすっかり青空が広がり、
震災なんて感じさせないくらい
綺麗な景色と川の流れがありました。
重要文化財になっている水門
ようやく着いた道の駅。
とりあえず定番のご当地ソフトを食べ、温泉に入り、
足つぼマッサージをしてちょっとのんびり。
ずんだソフト。私がラスイチで後ろの人ごめんなさいでした
帰りまた一時間かけて帰るのか~と思うとちょっとげんなり
してしまいましたが、気合入れてとても強い向かい風に
逆らいながら、なんとか夕方にはまた駅に戻りました。
途中、釜揚げうどんを食べてみたりしながら。
お昼に天ぷら食べたのを忘れ、思わずイカ天を載せてしまった。。
返却時間まで、自転車でまた少し周辺を回りながら、
数少ないお店だけがやっている商店街で買い物したりしました。
たくさんのお金は落とせないけど、なるべくいろんなお店で
少しずついろんなモノを買ったり食べたりしました。
本当に微々たるものですが、ほんの少しでも復興に
貢献できたらと思いました。
自転車を返却しても、バスが来るまではまだ時間があり、
駅前のお店で夕飯を食べ一杯二杯飲みながら
時間をつぶしました。
たった一日で、まだ石巻のほんの一部だけですが、
それでも現地に来たことでいろんな事を感じる事が出来ました。
やはり、百聞は一見に如かず…。
⑧(ラストです!)へ続く。
2012年04月23日
石巻弾丸ツアー ⑥ ~ 門脇地区 ~
石巻弾丸ツアー⑥ です。
*今更ですが、被災地の現状そのままの写真を
今回のブログでは載せています。
写真の掲載は多分賛否両論あると思いますし、
見て辛い方もいらっしゃると思うので、
そういう方は見ないでくださいね。
(すでに見て辛くなってしまった人はごめんなさい。)
ただ、私としては現地の人の思いも聞いたうえで
あえて掲載させて貰うことにしました。
どうぞご了承くださいませ。
今回石巻に来て、来ることを全く予想もしていなかった場所。
だけどこの辺では一番大きな被害が出たところ。
ここ、門脇地区。
日和山から今度は海に面する方の坂道を下り始めました。
近くには女学校がありました。
「みんなこの坂を上ってここに避難してきたんだ。
テレビとかでよく報道されていたのはこの場所なんだよ。」
おじいちゃんは教えてくれました。
そのまま坂を下りていくと、あたり一体は墓地でした。
もともとそこはお寺と墓地があり、
隣接して小学校が建っていました。
ちょうど小学校の裏側が見える場所に立つと
「真っ黒になってるのがわかるだろ?
火事で燃えてしまったんだよ。」
そのまま一番下まで降りると小学校の敷地に入れます。
ここにも「立ち入り禁止」の看板が立っていましたが、
おじいちゃんは気にせず校庭に入ってきます。
「入っていいんですか?」と私。
するとおじいちゃんは
「いいのいいの。ここね、長渕剛さんが昨年来て歌ってたんだよ。
いろんな芸能人がボランティアでこの辺にも来てくれたんだ。」
と言いました。
「そういえば、なんかで見たような…」
でも、すぐに思い出せませんでした。
さすがに校舎内は危ないので、入りませんでしたが、
目の前に聳え立つのは火事で真っ黒になった校舎。
窓ガラスも割れ、瓦礫こそなくなっていたものの
震災直後のままでした。
どうしても先にやるべき所があるのでこの辺は後回しに
なるそうです。
ここに通っていた子供たちは、
震災時、先ほどの日和山に登り避難したそうです。
この学校では普段から津波が来たら日和山に
逃げることを徹底していたといいます。
だけど、住民の人達は押し寄せる津波と共に
流されてくる家や車、そして大きな火災、
逃げれた人逃げ切れなかった人…
辺り一帯は大惨事と化しました。
ニュースにもなった幼稚園児を乗せたバスが
被災してしまった場所もここだったそうです。。
あの日、この辺一帯は雪が降っていました。
逃げるだけでも大変なのに追い打ちをかけるように。
どれだけ怖かったか… 本当に胸が痛みます。
おじいちゃん曰く、小学校の子供たちは今は、
いくつかの学校に分かれて通っているそうです。
今ではすっかり何もなくなった校庭。
ひっそりとあるプール。
近くには子供がいた事を思わせる品も
いくつか残っていました。
途中、車に乗った何人かの大人たちがやはり
見学に来ていました。学校のOBの方たちが
時々様子を見に来られているそうです。
山の下から見る景色は、
ただただ広大な土地が広がっていました。
時折、取り残された建物がポツンとある程度。
そして奥には瓦礫と化した、でも元々は皆さんの家や車や
大切なモノの数々…
奥にはたくさんの車が…
実は現地に行く前はほとんど何も情報を得ないで
ただ、とりあえず行ってみようと思い行きました。
帰ってきてから、震災時や直後の石巻の映像を
いくつか見ました。
私も立ったあの場所やこの場所。
見覚えのある風景がこの前見たのとは全然違う状態で
映像として映し出されていました。
また、長渕剛さんが歌ったという門脇小学校前の映像。
去年の紅白でした。
偶然途中から紅白を録画していたのを、
まだ観ていなかったので観てみたら、
しっかり映っていました。
涙が出ました。
私たちは、この震災から何を学び、何を語り継ぎ、そして
何を生かしていけるでしょうか?
*今更ですが、被災地の現状そのままの写真を
今回のブログでは載せています。
写真の掲載は多分賛否両論あると思いますし、
見て辛い方もいらっしゃると思うので、
そういう方は見ないでくださいね。
(すでに見て辛くなってしまった人はごめんなさい。)
ただ、私としては現地の人の思いも聞いたうえで
あえて掲載させて貰うことにしました。
どうぞご了承くださいませ。
今回石巻に来て、来ることを全く予想もしていなかった場所。
だけどこの辺では一番大きな被害が出たところ。
ここ、門脇地区。
日和山から今度は海に面する方の坂道を下り始めました。
近くには女学校がありました。
「みんなこの坂を上ってここに避難してきたんだ。
テレビとかでよく報道されていたのはこの場所なんだよ。」
おじいちゃんは教えてくれました。
そのまま坂を下りていくと、あたり一体は墓地でした。
もともとそこはお寺と墓地があり、
隣接して小学校が建っていました。
ちょうど小学校の裏側が見える場所に立つと
「真っ黒になってるのがわかるだろ?
火事で燃えてしまったんだよ。」
そのまま一番下まで降りると小学校の敷地に入れます。
ここにも「立ち入り禁止」の看板が立っていましたが、
おじいちゃんは気にせず校庭に入ってきます。
「入っていいんですか?」と私。
するとおじいちゃんは
「いいのいいの。ここね、長渕剛さんが昨年来て歌ってたんだよ。
いろんな芸能人がボランティアでこの辺にも来てくれたんだ。」
と言いました。
「そういえば、なんかで見たような…」
でも、すぐに思い出せませんでした。
さすがに校舎内は危ないので、入りませんでしたが、
目の前に聳え立つのは火事で真っ黒になった校舎。
窓ガラスも割れ、瓦礫こそなくなっていたものの
震災直後のままでした。
どうしても先にやるべき所があるのでこの辺は後回しに
なるそうです。
ここに通っていた子供たちは、
震災時、先ほどの日和山に登り避難したそうです。
この学校では普段から津波が来たら日和山に
逃げることを徹底していたといいます。
だけど、住民の人達は押し寄せる津波と共に
流されてくる家や車、そして大きな火災、
逃げれた人逃げ切れなかった人…
辺り一帯は大惨事と化しました。
ニュースにもなった幼稚園児を乗せたバスが
被災してしまった場所もここだったそうです。。
あの日、この辺一帯は雪が降っていました。
逃げるだけでも大変なのに追い打ちをかけるように。
どれだけ怖かったか… 本当に胸が痛みます。
おじいちゃん曰く、小学校の子供たちは今は、
いくつかの学校に分かれて通っているそうです。
今ではすっかり何もなくなった校庭。
ひっそりとあるプール。
近くには子供がいた事を思わせる品も
いくつか残っていました。
その脇に立つ一本の木。
火災か塩害のせいか途中までがすっかり枯れています。
火災か塩害のせいか途中までがすっかり枯れています。
途中、車に乗った何人かの大人たちがやはり
見学に来ていました。学校のOBの方たちが
時々様子を見に来られているそうです。
山の下から見る景色は、
ただただ広大な土地が広がっていました。
時折、取り残された建物がポツンとある程度。
そして奥には瓦礫と化した、でも元々は皆さんの家や車や
大切なモノの数々…
奥にはたくさんの車が…
実は現地に行く前はほとんど何も情報を得ないで
ただ、とりあえず行ってみようと思い行きました。
帰ってきてから、震災時や直後の石巻の映像を
いくつか見ました。
私も立ったあの場所やこの場所。
見覚えのある風景がこの前見たのとは全然違う状態で
映像として映し出されていました。
また、長渕剛さんが歌ったという門脇小学校前の映像。
去年の紅白でした。
偶然途中から紅白を録画していたのを、
まだ観ていなかったので観てみたら、
しっかり映っていました。
涙が出ました。
私たちは、この震災から何を学び、何を語り継ぎ、そして
何を生かしていけるでしょうか?
2012年04月23日
石巻弾丸ツアー ⑤ ~ 日和山公園 ~
石巻弾丸ツアー⑤ です。
しばらく歩いて、急な坂道を登っていくと、日和山公園に
辿り着きました。辺り一面がよく見渡せます。
桜はまだ蕾の状態でした。
そのまま進んでいくと、大きくて立派な神社が…
鹿島御子神社というそうです。
おじいちゃんと一緒にお参りをしました。
参拝を終えて、反対側に向かっていくと大きな鳥居があります。
そこからは本当に辺り一面が見渡せました。
これが今の石巻の状況です。
海までの敷地はほぼ更地に近い状態になっていますが、
もともとここは全部住宅街になっていたそうです。
遠くに目をやると、いろんな場所に瓦礫の山がありました。
分別されているようで、ピラミッドのように積まれた山。
車だけの場所。
自由の女神が建っているのですが、肉眼ではわかりませんでしたが
アップにすると左の下半身が削られているのがわかりました。
しばらくこの場所でおじいちゃんといろいろな話をしました。
その中で印象的だったのは、「てんでんこ」という言葉。
そういえば、震災の直後はメディアでも伝えていたフレーズ。
でも、改めて今聞かれると記憶があいまい。
おじいちゃんに「どういう意味でしたっけ?」と聞いてみる。
「てんでんばらばら。津波や地震が来たら自分たち各自の判断で
とりあえず逃げるという事。家族や荷物を置いてでも逃げるんだよ。
それが昔からこの辺の教えなんだ。今回は助けに行った人たちが
たくさん犠牲になった…。」
自己判断。
とにかく 『自分の命は自分で守る』 という事。
いろんなものに依存しすぎている私たち。
自分の判断でどこまで行動が出来るのか…
荷物を取りに行ったり、誰かを助けに行って亡くなってしまった人。
それがもちろん悪いわけではないし、きっとそれも自己判断。
助けに行って亡くなってしまった人も、いけなかった人も、
それぞれがきっといろんな想いや後悔があったと思います。
それがいい悪いなんて誰にも決められない。
だから誰も責めたりはしない。
それがこの「てんでんこ」の教え。
そしてもう一つおじいちゃんが教えてくれたのは、
ここ石巻は川沿いでは珍しい無防波堤の街だったんだということ。
だから私は聞きました。
「それは今まで大きな津波が来なかったからですか?」
するとおじいちゃんは、
「いやいや、何度も津波は来てるよ~。だけどここは貿易の町。
いろんなものをこの川から船で運んでたんだよ。
川沿いにはたくさんの船がいつも並んでいたんだ。
だから防波堤があると荷物の荷卸しなどに邪魔だったんだよ。
津波が来ても、そこまで大きいのも来なかったし
来たらとりあえずてんでんこ。
多少周辺が壊れても、防波堤を作るよりは良かったんだよ。
だけど、やっぱり今回の津波は想定外だった。」
と言いました。
昔はとても貿易で栄えた街だそう。
だけど、現在は大手商社などが直接買付けに来たりするので
昔ほどの賑わいはなくなっているとか…
「漁師も農家も大変な時代だよ。
一次産業は…。いい時代もあったんだろうけど…。
今は中間の人たちの方がいいんじゃないの?」
っておじいちゃんが言ってました。
ちなみにおじいちゃんは、この周辺のパルプ工場で働いていたそうです。
しばらく公園内を歩いているとおじいちゃんが
「この下の街は震災の時、大きな火災がたくさんあったんだ。
車のガソリンとかで火事が起きて、
一帯は大きな火の海に包まれたんだ。
その中には小学校があったんだよ。
行ってみるかい?下に降りたらいけるよ?」
火事の跡…
さすがにちょっと戸惑いましたが、せっかくなので行く事にしました。
⑥へつづく。
しばらく歩いて、急な坂道を登っていくと、日和山公園に
辿り着きました。辺り一面がよく見渡せます。
桜はまだ蕾の状態でした。
そのまま進んでいくと、大きくて立派な神社が…
鹿島御子神社というそうです。
おじいちゃんと一緒にお参りをしました。
参拝を終えて、反対側に向かっていくと大きな鳥居があります。
そこからは本当に辺り一面が見渡せました。
これが今の石巻の状況です。
海までの敷地はほぼ更地に近い状態になっていますが、
もともとここは全部住宅街になっていたそうです。
遠くに目をやると、いろんな場所に瓦礫の山がありました。
分別されているようで、ピラミッドのように積まれた山。
車だけの場所。
向こうの方にもあるのが見えます。
少し移動すると、先ほどの萬画館がある中州も良く見えます。
自由の女神が建っているのですが、肉眼ではわかりませんでしたが
アップにすると左の下半身が削られているのがわかりました。
しばらくこの場所でおじいちゃんといろいろな話をしました。
その中で印象的だったのは、「てんでんこ」という言葉。
そういえば、震災の直後はメディアでも伝えていたフレーズ。
でも、改めて今聞かれると記憶があいまい。
おじいちゃんに「どういう意味でしたっけ?」と聞いてみる。
「てんでんばらばら。津波や地震が来たら自分たち各自の判断で
とりあえず逃げるという事。家族や荷物を置いてでも逃げるんだよ。
それが昔からこの辺の教えなんだ。今回は助けに行った人たちが
たくさん犠牲になった…。」
自己判断。
とにかく 『自分の命は自分で守る』 という事。
いろんなものに依存しすぎている私たち。
自分の判断でどこまで行動が出来るのか…
荷物を取りに行ったり、誰かを助けに行って亡くなってしまった人。
それがもちろん悪いわけではないし、きっとそれも自己判断。
助けに行って亡くなってしまった人も、いけなかった人も、
それぞれがきっといろんな想いや後悔があったと思います。
それがいい悪いなんて誰にも決められない。
だから誰も責めたりはしない。
それがこの「てんでんこ」の教え。
そしてもう一つおじいちゃんが教えてくれたのは、
ここ石巻は川沿いでは珍しい無防波堤の街だったんだということ。
だから私は聞きました。
「それは今まで大きな津波が来なかったからですか?」
するとおじいちゃんは、
「いやいや、何度も津波は来てるよ~。だけどここは貿易の町。
いろんなものをこの川から船で運んでたんだよ。
川沿いにはたくさんの船がいつも並んでいたんだ。
だから防波堤があると荷物の荷卸しなどに邪魔だったんだよ。
津波が来ても、そこまで大きいのも来なかったし
来たらとりあえずてんでんこ。
多少周辺が壊れても、防波堤を作るよりは良かったんだよ。
だけど、やっぱり今回の津波は想定外だった。」
と言いました。
昔はとても貿易で栄えた街だそう。
だけど、現在は大手商社などが直接買付けに来たりするので
昔ほどの賑わいはなくなっているとか…
「漁師も農家も大変な時代だよ。
一次産業は…。いい時代もあったんだろうけど…。
今は中間の人たちの方がいいんじゃないの?」
っておじいちゃんが言ってました。
ちなみにおじいちゃんは、この周辺のパルプ工場で働いていたそうです。
しばらく公園内を歩いているとおじいちゃんが
「この下の街は震災の時、大きな火災がたくさんあったんだ。
車のガソリンとかで火事が起きて、
一帯は大きな火の海に包まれたんだ。
その中には小学校があったんだよ。
行ってみるかい?下に降りたらいけるよ?」
火事の跡…
さすがにちょっと戸惑いましたが、せっかくなので行く事にしました。
⑥へつづく。
2012年04月23日
石巻弾丸ツアー ④ ~ 石巻の被害状況 ~
石巻弾丸ツアー④です。
住吉公園で偶然出会った見知らぬおじいちゃん。
通常かなり人見知りの私は、基本的に警戒心も強いので
誰かれ構わず付いて行く事はまずないですが、
不思議とこのおじいちゃんとは、自然と話しながら
歩き続けていました。
日和山公園に向かう途中、商店街の一部や沿岸部を通りながら
向かったのですが、そこには観光で有名な②でも少し触れた
萬画館がありました。
もちろん、今は閉まっています。
震災直後、テレビで映像を見た方も多いと思います。
私もあの丸いドーム型の建物の印象だけは残っていました。
そこは岸から少し離れた中州にあります。
すぐ近くまでは行きませんでしたが、近くに架かる橋。
川の目の前のガードレール。
痛々しく今も尚残っています。
商店街は沿岸部ほどもちろん被害も大きく、
たくさんの老舗のお店も被災しました。
おじいちゃんも歩きながら、「ここは〇年前からあったんだよ~」
と、それぞれのお店に懐かしそうに語っていました。
だけどもう、細かくどこがどこだったのかわからない程の変貌。
昔からある蔵も大きな被害を…
よく見ると反対側の岸辺には船が乗り上げたまま
急な坂道を上り、私たちは日和山公園にたどり着きました。
⑤へつづく…
住吉公園で偶然出会った見知らぬおじいちゃん。
通常かなり人見知りの私は、基本的に警戒心も強いので
誰かれ構わず付いて行く事はまずないですが、
不思議とこのおじいちゃんとは、自然と話しながら
歩き続けていました。
日和山公園に向かう途中、商店街の一部や沿岸部を通りながら
向かったのですが、そこには観光で有名な②でも少し触れた
萬画館がありました。
もちろん、今は閉まっています。
震災直後、テレビで映像を見た方も多いと思います。
私もあの丸いドーム型の建物の印象だけは残っていました。
そこは岸から少し離れた中州にあります。
すぐ近くまでは行きませんでしたが、近くに架かる橋。
川の目の前のガードレール。
痛々しく今も尚残っています。
商店街は沿岸部ほどもちろん被害も大きく、
たくさんの老舗のお店も被災しました。
おじいちゃんも歩きながら、「ここは〇年前からあったんだよ~」
と、それぞれのお店に懐かしそうに語っていました。
だけどもう、細かくどこがどこだったのかわからない程の変貌。
昔からある蔵も大きな被害を…
違う場所で少しずつ営業を再開されているお店もあるようです
よく見ると反対側の岸辺には船が乗り上げたまま
急な坂道を上り、私たちは日和山公園にたどり着きました。
⑤へつづく…
2012年04月21日
石巻弾丸ツアー ③ ~住吉公園~
石巻弾丸ツアー③ です。
なんとなく、ひかれるように歩いて辿り着いたのは
「住吉公園」というところでした。
たまたま、ツイッターでフォローしている人の中に
住吉中学校の先生がいて(知り合いではないのですが…)
この方は、福山雅治さんのファンらしく震災直後の福山さんの
チャリティラジオ番組に被害の現状報告等をされており、
それ以降ちょこちょこ通常の番組内でも状況を紹介されていて、
先日はなんとその甲斐あって学校の体育館で福山ライブが
開催されたのでした!
学校の生徒さんや先生はもちろん、皆さん感激されていました。
歌で元気を届けるってやっぱりいいですよね。
でも石巻に来るまではそんな事すっかり忘れていましたが、
それを聴いていたせいもあってか、そういえばあれ石巻だったなと
思い出し、あてもなく歩きながらもなんとなく住吉という
名前が付くここへたどり着いたのでした。
そこは駅から歩いて15分ほど。
この場所の震災前の姿を知りませんでしたが、ここでも
大きな傷跡があるのがすぐにわかりました。
公園のすぐ横を川が流れているのですが、
目についたのは赤い橋。
でも、この橋の前には不自然な防波堤。。
渡ることはできません。
橋の向こうにある小さな島。
そこには松の木が横たわっていました。
公園内に入ると、目の前には神社が。
その手前にはある建物が建っていました。
ふと、川の方をもう一度見ると
おじいさんが川を見ながら二人、立ち話をしていました。
とりあえず「おはようございます。」と声をかけると
一人のおじいさんが話しかけてくれました。
おじいさん 「○○にボランティアで来たのかね?」
私 「いや、今回はボランティアじゃなくて…
神奈川からちょっと様子を見に来ました。」
なんて、たわいもない話をしているとそのおじいさんが
自然と公園内を案内してくれ始めました。
まずは、先ほどあった公園内の建物。
近づくと「立ち入り禁止」の張り紙が。
でも、ドアも窓もなく中は丸見えの状態。
するとおじいさんが言いました。
「津波が2m位まで来たんだよ。それがこの跡。」
玄関にある壁をよく見ると、水の跡らしきものが残ってました。
そのまま玄関横の部屋を見ると、床は全部剥がされて、
その下には炭が敷かれていました。
そしてそこの壁にもよく見ると水の跡の線がくっきり残っています。
おじいさん曰く、波はもっと高く来たけど、一番水が留まっていた
高さにその跡は残っているんだと。
地面からだいたい1m位の高さでした。
被災地の状況は、昨年の5月に福島へボランティアに行った時にも
沿岸部を見ていたのですが、やはり言葉に詰まってしまいます。
少し呆然としているとおじいさんは「写真撮らんの?」と言うので
「いいんですかね?」と聞くと、
「いいんだよ。現状を知って伝えてもらいたいよ。」と言われました。
前は震災直後だったのもあり、被災地の状況を一枚も取れませんでした。
それでも、いまでもその光景は目に焼き付いています。
だからなんとなく今回も躊躇いはありましたが、
その言葉を聞いて今回は写真に収めていこうと思いました。
ちなみにこの床はピースボートのボランティアの皆さんによって
剥がされたそうです。その下の炭は関西から届いた竹炭だそうです。
東北では木がたくさん取れるので木炭がほとんどだから竹炭は
珍しいって言っていました。
神社でお参りをすると、神社の裏手にある高台へ
案内してくれました。そこから町が一望できました。
それほど大きな敷地ではありません。
「あの日、ここにも40人位の人が避難したんだよ…。」
おじいさんは言いました。
この場所に40人…。きっとかなり狭かったはず。。
みんなどんな思いでこの場所に立っていたんだろう…。
きっと私なんかには到底わからないほどの思いだったと思います。
境内に戻り、住吉神社(正確には大島神社というそう)で
お参りをしてからおじいさんにお礼をいうと、
ついでだからと今度は川沿いを案内してくれました。
先ほど見た赤い橋。もともと防波堤はなく、
やはりここは震災前までは渡れたそうです。
震災時にこの周辺は70cm位地盤沈下したそうです。
その為、川沿いの道には防波堤が出来て、
道は砂利で整備されこんな感じになっています。
ここは昔、「袖の渡り」と言われており
源義経が船賃の代わりに片袖をちぎって船頭に
与えたと伝えられ、その石碑なんかもありました。
ちなみにこの赤い橋を渡った小さな島(雄島と言うそう)の
近くには巻石という石があって、その周りを時々渦が巻くらしく
それがこの「石巻」という名前の由来になったという説もあると
おじいさんが教えてくれました。
偶然にも初めて着いた場所が
石巻由来の場所だったとはなんともです。
そのまま川沿いを歩くとおじいさんが言いました。
「ここも写真撮ったら?みんなこんな感じだったよ。」と言って
横を見るとお家が完全に崩れていました。
ここの方は現在仮設住宅に避難されているそうです。
それを聞いてほんの少し安心しましたが、1年以上たっても
まだまだ手つかずの場所があるのだという事も実感しました。
そのまま少し歩くと、
「このまま道なりに行ったら住吉小学校があるから、
それを曲がるとまた町の方へ戻れるよ。」というので、
再びお礼を言っておじいさんと別れ、
川を見ながら一人で歩き始めました。
その道を突き当たると小学校がありました。
ちょうど通学の時間だったので、
元気にみんな学校へ入っていくところでした。
でもこんな川の近くに小学校が…
本当に大変だったと思います。
門の前の先生に軽く会釈しながら、また町の方へ戻っていくと
自転車に乗ったさっきのおじいさんが道の反対からまた声を
かけてくれました。軽くお礼と挨拶を交わすとまたおじいさんが
戻ってきたので再び一緒に歩きながら話します。
来る前に何かで見た
「桜で有名な日和山公園に行こうと思う」と伝えたところ
じゃあ案内しようと言って、自転車を押しながらそのまま
結局また案内してくれることになりました。
話を聞くとこのおじいさんは町のお掃除係りをやっていて
時々ボランティアに来る人たちの案内を時間があれば
しているとのことでした。
お年を聞くと、74歳。でも全然元気です。
そして何よりものすごい記憶力。
道中いろんな話をしてくれるのですが、多くは歴史的なコト。
この場所は伊達正宗が~とか、川村孫兵衛が~とか
歴史が苦手な私には若干難しかったですが、
ただただその記憶力と話に関心しながら
「なるほど~」と聞いていました。
そうこうしているうちに、また川沿いへ戻り
今度は日和山公園を目指します…
④へ続く。。
(って、これ一体いくつまで続くのか…。自分でも謎です)
なんとなく、ひかれるように歩いて辿り着いたのは
「住吉公園」というところでした。
たまたま、ツイッターでフォローしている人の中に
住吉中学校の先生がいて(知り合いではないのですが…)
この方は、福山雅治さんのファンらしく震災直後の福山さんの
チャリティラジオ番組に被害の現状報告等をされており、
それ以降ちょこちょこ通常の番組内でも状況を紹介されていて、
先日はなんとその甲斐あって学校の体育館で福山ライブが
開催されたのでした!
学校の生徒さんや先生はもちろん、皆さん感激されていました。
歌で元気を届けるってやっぱりいいですよね。
でも石巻に来るまではそんな事すっかり忘れていましたが、
それを聴いていたせいもあってか、そういえばあれ石巻だったなと
思い出し、あてもなく歩きながらもなんとなく住吉という
名前が付くここへたどり着いたのでした。
そこは駅から歩いて15分ほど。
この場所の震災前の姿を知りませんでしたが、ここでも
大きな傷跡があるのがすぐにわかりました。
公園のすぐ横を川が流れているのですが、
目についたのは赤い橋。
でも、この橋の前には不自然な防波堤。。
渡ることはできません。
橋の向こうにある小さな島。
そこには松の木が横たわっていました。
公園内に入ると、目の前には神社が。
その手前にはある建物が建っていました。
ふと、川の方をもう一度見ると
おじいさんが川を見ながら二人、立ち話をしていました。
とりあえず「おはようございます。」と声をかけると
一人のおじいさんが話しかけてくれました。
おじいさん 「○○にボランティアで来たのかね?」
私 「いや、今回はボランティアじゃなくて…
神奈川からちょっと様子を見に来ました。」
なんて、たわいもない話をしているとそのおじいさんが
自然と公園内を案内してくれ始めました。
まずは、先ほどあった公園内の建物。
近づくと「立ち入り禁止」の張り紙が。
でも、ドアも窓もなく中は丸見えの状態。
するとおじいさんが言いました。
「津波が2m位まで来たんだよ。それがこの跡。」
玄関にある壁をよく見ると、水の跡らしきものが残ってました。
そのまま玄関横の部屋を見ると、床は全部剥がされて、
その下には炭が敷かれていました。
そしてそこの壁にもよく見ると水の跡の線がくっきり残っています。
おじいさん曰く、波はもっと高く来たけど、一番水が留まっていた
高さにその跡は残っているんだと。
地面からだいたい1m位の高さでした。
被災地の状況は、昨年の5月に福島へボランティアに行った時にも
沿岸部を見ていたのですが、やはり言葉に詰まってしまいます。
少し呆然としているとおじいさんは「写真撮らんの?」と言うので
「いいんですかね?」と聞くと、
「いいんだよ。現状を知って伝えてもらいたいよ。」と言われました。
前は震災直後だったのもあり、被災地の状況を一枚も取れませんでした。
それでも、いまでもその光景は目に焼き付いています。
だからなんとなく今回も躊躇いはありましたが、
その言葉を聞いて今回は写真に収めていこうと思いました。
ちなみにこの床はピースボートのボランティアの皆さんによって
剥がされたそうです。その下の炭は関西から届いた竹炭だそうです。
東北では木がたくさん取れるので木炭がほとんどだから竹炭は
珍しいって言っていました。
神社でお参りをすると、神社の裏手にある高台へ
案内してくれました。そこから町が一望できました。
それほど大きな敷地ではありません。
「あの日、ここにも40人位の人が避難したんだよ…。」
おじいさんは言いました。
この場所に40人…。きっとかなり狭かったはず。。
みんなどんな思いでこの場所に立っていたんだろう…。
きっと私なんかには到底わからないほどの思いだったと思います。
境内に戻り、住吉神社(正確には大島神社というそう)で
お参りをしてからおじいさんにお礼をいうと、
ついでだからと今度は川沿いを案内してくれました。
先ほど見た赤い橋。もともと防波堤はなく、
やはりここは震災前までは渡れたそうです。
震災時にこの周辺は70cm位地盤沈下したそうです。
その為、川沿いの道には防波堤が出来て、
道は砂利で整備されこんな感じになっています。
ここは昔、「袖の渡り」と言われており
源義経が船賃の代わりに片袖をちぎって船頭に
与えたと伝えられ、その石碑なんかもありました。
ちなみにこの赤い橋を渡った小さな島(雄島と言うそう)の
近くには巻石という石があって、その周りを時々渦が巻くらしく
それがこの「石巻」という名前の由来になったという説もあると
おじいさんが教えてくれました。
偶然にも初めて着いた場所が
石巻由来の場所だったとはなんともです。
そのまま川沿いを歩くとおじいさんが言いました。
「ここも写真撮ったら?みんなこんな感じだったよ。」と言って
横を見るとお家が完全に崩れていました。
ここの方は現在仮設住宅に避難されているそうです。
それを聞いてほんの少し安心しましたが、1年以上たっても
まだまだ手つかずの場所があるのだという事も実感しました。
そのまま少し歩くと、
「このまま道なりに行ったら住吉小学校があるから、
それを曲がるとまた町の方へ戻れるよ。」というので、
再びお礼を言っておじいさんと別れ、
川を見ながら一人で歩き始めました。
その道を突き当たると小学校がありました。
ちょうど通学の時間だったので、
元気にみんな学校へ入っていくところでした。
でもこんな川の近くに小学校が…
本当に大変だったと思います。
門の前の先生に軽く会釈しながら、また町の方へ戻っていくと
自転車に乗ったさっきのおじいさんが道の反対からまた声を
かけてくれました。軽くお礼と挨拶を交わすとまたおじいさんが
戻ってきたので再び一緒に歩きながら話します。
来る前に何かで見た
「桜で有名な日和山公園に行こうと思う」と伝えたところ
じゃあ案内しようと言って、自転車を押しながらそのまま
結局また案内してくれることになりました。
話を聞くとこのおじいさんは町のお掃除係りをやっていて
時々ボランティアに来る人たちの案内を時間があれば
しているとのことでした。
お年を聞くと、74歳。でも全然元気です。
そして何よりものすごい記憶力。
道中いろんな話をしてくれるのですが、多くは歴史的なコト。
この場所は伊達正宗が~とか、川村孫兵衛が~とか
歴史が苦手な私には若干難しかったですが、
ただただその記憶力と話に関心しながら
「なるほど~」と聞いていました。
そうこうしているうちに、また川沿いへ戻り
今度は日和山公園を目指します…
④へ続く。。
(って、これ一体いくつまで続くのか…。自分でも謎です)
2012年04月21日
石巻弾丸ツアー ② ~被災地の今~
石巻弾丸ツアー② です。
前回は単なるボヤキみたいな感じになってしまいましたね。
すみません。。
さて、ここからは実際現地へ行ったお話を。
前回お伝えしたように、最初ボラバスも検討していたのですが
なかなかうまく予定も合わずで個人的に行くことに決めました。
でも、前回行った福島ならともかく、宮城岩手まではかなり遠い。
調べてもうちから車で10時間位はかかります。
片道10時間の運転。。運転は好きですがさすがに長い。
途中休み休み行ったらもっと時間がかかります。
かといって電車だと乗継も費用もかなりかかります。
しかも行ったことの無い、土地勘も全くない場所。
誰かを誘って一緒に行く??
いや、リスクのあることはあまり人を巻き込みたくないので
それは選択肢になかったのですが、じゃあどうしようと思い
調べてみたら夜行バスが出てることに気づきました。
これなら片道¥4000位で行けるので、多分個人でガソリン代を
考えてもそれより安くいけます。しかも夜移動で早朝着くので
電車とかより効率もいい。その中で一番被災地に近いところが
宮城県の石巻でした。ということで、場所が決まりました。
しかも予定も前日の予約で大丈夫だったのでちょうど予定が
空いた日に行け、仕事に影響もなく手配できました
ちなみに一日ならボラバスと同じ位の費用ですが、
ボラバスはたいてい新宿から23時頃出発とかなので、
これだと横浜から22時頃出発なので行きやすのもありました。
だけど、私的に不安だったのはなんせ乗り物酔いするという事。
特にバスはかなり苦手。
普通に路線バスでも酔ってしまうという…
自分の家から駅まで行くのも結構ダメなくらいです。
電車は比較的大丈夫ですが、バスの後に乗ると
基本的には路線電車もダメなんです。
普段は自分で車を運転して移動しているので
それは大丈夫なのですが、他人の運転も基本的にはダメ。
もちろん船も…。 唯一大丈夫なのは飛行機くらい。
以前、屋久島でシーカヤックやってそれでも酔い、その流れで
シュノーケルしても完全に波酔いして楽しいはずがグロッキーに。。
なので、バスで8時間とか耐えられるのか心配でしたが、
夜行バスだけあって、乗ったと同時に暗くなるので
案の定15分くらいで少し気持ち悪くなってきたのですが、
ミスチルを聴きながら速攻そのまま寝てしまいました。
こんな時に座りながら寝ることに慣れているのが役立つなんて!
しかも座席に余裕があって一人で二席分だったので
横の席も使える。そしたらほぼ大丈夫でした!
2時間起き位に休憩が入るので都度起きるのですが
ちょこちょこ寝て起きるのにも慣れているので、すぐ寝れる。
その繰り返し。。
思いのほかスムーズに現地に着きました◎
(あっ、ちょっと余談でしたね。。)
19日朝7時前。石巻駅前に到着。
まだ早いので駅以外はどこもやってない為、
とりあえず駅周辺をフラフラ。
途中バスの中に携帯の一つを落とし忘れてきてしまう
事に気づくというハプニングはもちろん相変わらず
付いていましたが、とりあえずそれも無事回収していざ出発!
まずは余計な荷物はロッカーに入れて、
特にガイドブック等は持っていなかったので、
駅の案内板を見て近くの商店街の方へ歩き始めました。
完全にノープランの旅の始まりです。
一見、本当にあんなに大きな被害があったのかわからない程の
穏やかに見える朝の駅前の光景。
商店街に進むにつれて、何やらキャラクターの像があちこちに。
ここ、石巻はサイボーグ009、仮面ライダーで有名な
宮城県出身の漫画家石ノ森章太郎さんの協力を得て作られた
「石ノ森萬画館」あり、
そこへ続く道がマンガロードと呼ばれ、
商店街のいたるところにキャラクター像がありました。
その通りを歩いていくと、たくさんのお店が連なっていましたが
どこもシャッターが閉まり、中にはベニヤ板で塞がれてたり、
工事中だったり…
時間が早かったのもあって、正直どこまでやっているのか
よくわからない状況でした。
ただ、進むにつれてやはり大きな被害があったんだという事を
目の当たりにしていきます。
商店街を進むにつれて、沿岸部に近づいていきます。
どうやらお店が閉まっているのは、ただ朝が早くて
やっていないわけでは無いことがすぐにわかりました。
そして、商店街を過ぎ、私はある場所にたどり着きます。
住吉公園。
この日のすべてはここから始まりました。
③に続く…。
前回は単なるボヤキみたいな感じになってしまいましたね。
すみません。。
さて、ここからは実際現地へ行ったお話を。
前回お伝えしたように、最初ボラバスも検討していたのですが
なかなかうまく予定も合わずで個人的に行くことに決めました。
でも、前回行った福島ならともかく、宮城岩手まではかなり遠い。
調べてもうちから車で10時間位はかかります。
片道10時間の運転。。運転は好きですがさすがに長い。
途中休み休み行ったらもっと時間がかかります。
かといって電車だと乗継も費用もかなりかかります。
しかも行ったことの無い、土地勘も全くない場所。
誰かを誘って一緒に行く??
いや、リスクのあることはあまり人を巻き込みたくないので
それは選択肢になかったのですが、じゃあどうしようと思い
調べてみたら夜行バスが出てることに気づきました。
これなら片道¥4000位で行けるので、多分個人でガソリン代を
考えてもそれより安くいけます。しかも夜移動で早朝着くので
電車とかより効率もいい。その中で一番被災地に近いところが
宮城県の石巻でした。ということで、場所が決まりました。
しかも予定も前日の予約で大丈夫だったのでちょうど予定が
空いた日に行け、仕事に影響もなく手配できました
ちなみに一日ならボラバスと同じ位の費用ですが、
ボラバスはたいてい新宿から23時頃出発とかなので、
これだと横浜から22時頃出発なので行きやすのもありました。
だけど、私的に不安だったのはなんせ乗り物酔いするという事。
特にバスはかなり苦手。
普通に路線バスでも酔ってしまうという…
自分の家から駅まで行くのも結構ダメなくらいです。
電車は比較的大丈夫ですが、バスの後に乗ると
基本的には路線電車もダメなんです。
普段は自分で車を運転して移動しているので
それは大丈夫なのですが、他人の運転も基本的にはダメ。
もちろん船も…。 唯一大丈夫なのは飛行機くらい。
以前、屋久島でシーカヤックやってそれでも酔い、その流れで
シュノーケルしても完全に波酔いして楽しいはずがグロッキーに。。
なので、バスで8時間とか耐えられるのか心配でしたが、
夜行バスだけあって、乗ったと同時に暗くなるので
案の定15分くらいで少し気持ち悪くなってきたのですが、
ミスチルを聴きながら速攻そのまま寝てしまいました。
こんな時に座りながら寝ることに慣れているのが役立つなんて!
しかも座席に余裕があって一人で二席分だったので
横の席も使える。そしたらほぼ大丈夫でした!
2時間起き位に休憩が入るので都度起きるのですが
ちょこちょこ寝て起きるのにも慣れているので、すぐ寝れる。
その繰り返し。。
思いのほかスムーズに現地に着きました◎
(あっ、ちょっと余談でしたね。。)
19日朝7時前。石巻駅前に到着。
まだ早いので駅以外はどこもやってない為、
とりあえず駅周辺をフラフラ。
途中バスの中に携帯の一つを落とし忘れてきてしまう
事に気づくというハプニングはもちろん相変わらず
付いていましたが、とりあえずそれも無事回収していざ出発!
まずは余計な荷物はロッカーに入れて、
特にガイドブック等は持っていなかったので、
駅の案内板を見て近くの商店街の方へ歩き始めました。
完全にノープランの旅の始まりです。
一見、本当にあんなに大きな被害があったのかわからない程の
穏やかに見える朝の駅前の光景。
駅前にある案内図
商店街に進むにつれて、何やらキャラクターの像があちこちに。
ここ、石巻はサイボーグ009、仮面ライダーで有名な
宮城県出身の漫画家石ノ森章太郎さんの協力を得て作られた
「石ノ森萬画館」あり、
そこへ続く道がマンガロードと呼ばれ、
商店街のいたるところにキャラクター像がありました。
その通りを歩いていくと、たくさんのお店が連なっていましたが
どこもシャッターが閉まり、中にはベニヤ板で塞がれてたり、
工事中だったり…
時間が早かったのもあって、正直どこまでやっているのか
よくわからない状況でした。
ただ、進むにつれてやはり大きな被害があったんだという事を
目の当たりにしていきます。
商店街を進むにつれて、沿岸部に近づいていきます。
どうやらお店が閉まっているのは、ただ朝が早くて
やっていないわけでは無いことがすぐにわかりました。
そして、商店街を過ぎ、私はある場所にたどり着きます。
住吉公園。
この日のすべてはここから始まりました。
③に続く…。
2012年04月21日
石巻弾丸ツアー ① ~震災から一年~
石巻弾丸ツアーに行ってきました。
別にそんな名前のツアーがあるわけではなく、
あくまでも個人的に行ってきたものです。
先月で大震災から一年が経ち、私たちの日常はほぼ震災前と
変わらないスタンスになってきました。もちろん、放射能の問題、
震災瓦礫の問題、原発再稼働の問題、その他諸々毎日のように
ニュースになり、テレビではその情報は少ないけれど、ネット
(特にツイッター上)では毎日のように情報交換がされています。
それでも、私自身もまた毎日の生活に少しずつ染まり始めて
仕事が忙しくてその手の情報をほとんど見れない時などは、仮に
見れていても多分どっかで慣れてきてしまっている自分もいて…
それはそれで、もちろん日々の生活を大切にしなきゃいけないので
悪いことではないと思うのですが、それだけでいいのか?なんて
いろんな矛盾と日々の出来事に追われて、最近は頭の中の整理が
ずっと出来ずにいました。なので何度もブログを書こうと思っても
何故か途中までしか書けなくて…
気づいたら一カ月以上もあいてしまってましたね。
また、私たちの身近な問題は取り上げられても、ちょうど震災から
一年経った時、特番で報じるくらいで被災地の今がどうなっているのか
あまりやらないので、ずっと気になっていました。
それ以外にもいろいろ自分の目で確かめたい事がありました。
そう思い始めると自分でもなかなかこの衝動を止められない…。
ちょっと危ない性格かもです。
(別に変なことはしないのでご安心を!)
ところで被災地といっても、いろんな場所があります。
地震と津波被害が大きかった東北岩手、宮城県沿岸部。
それにプラスして放射能・原発問題が今もなお大きい福島。
もちろん、それ以外にもいろいろあると思いますが
今回私は今まで行ったことのない宮城県石巻を見てみようと
思いました。
実は東北地方は今までもほとんど行ったことがなくて
福島も子供の頃一度親戚の家に行っただけ、昨年が多分2回目。
岩手は一度友達の結婚式で行った位で他は恐らく無いですね。
なので、今回もどこ行こう?と思っていたのですが…。
もともとはボランティアで行こうと思ってずっとチェックしていました。
でも、現在ボランティアで行くにも色々とクリアする部分があり
そう簡単にはできない状況です。
基本的には現在個人的に受け入れをしているところも少なくて、
例えば個人で出来るような、前回行ったいわき市も現在は
週末のみの受け入れ等、いろいろ条件が出来ています。
だから一番行きやすいのはボラバスというボランティア専用の
バスで行くこと。
多分、これが一番手っ取り早いのだと思います。
ほぼ毎週各地へ行くツアーが組まれていますが、
個人的にネックなのは日程。たいていは週末にかけて
予定されていたり、平日でもあるのですがなかなか予定が
合わなかったり、定員割れで開催されなかったり、
逆に早くから申し込まなきゃダメだったり…
そもそもボランティアって、あくまでも個人で無理せず
出来る範囲でやるくらいでないと、なかなか難しいと思っています。
私の場合、仕事の予定が直前まで確定しなかったりするもので
どうしても行くとなると直前の判断になってしまいます。
もちろん、事前に予定していくことも出来ますが、
その為に自分の仕事を断ることになる可能性もあり、
今はもうそういう時期は超えたかな?とも思っています。
ある程度自分の生活が成り立たないと人の事まで構えないのが、
多分たいていの人はそうだと思いますし、中にはもちろん
自分を犠牲にしてでも被災地へ足を運んでという方もいると思いますが、
それはとても素晴らしいけれど、本来はその分をある程度
国が補償する等制度が必要だと思っています。
そういう事に赤十字等に集まった義捐金を使うとか…。
また、ボラバスツアーで行くとしても例えば一日のみで一万円位。
2~3日だと2万円~位の費用が個人負担としてかかります。
その中にはバス代、食事代の一部、宿代なども含まれて
いたりしますが…
それにプラスして現地での決して安全とは言えない作業です。
被災地では瓦礫撤去なども決して安全ではありません。
怪我をする可能性だってあるし、まだまだ小さな地震も頻発していて
もしかしたら大きな地震がその際に来るかもしれません。
ある程度の危険を伴うことなんです。
で、これは文句ではないのですが、その費用が丸々被災地に
落ちるならまだいいと思うのですが、あくまでもツアー代金として
組まれているので、もちろん、その中の一部は被災地に
落ちていたり、実際人手を手配してくれるという意味ではいいと
思うのですが、ガソリン代はともかく東北までの高速代などは、
ボランティア車両に関しては今月以降も高速道路の無料化が
申請すれば適用されていますので、せめてもう少し気軽に
参加できるような形に出来ないのかな?って思ったりします。
例えば一回5000円位までで参加できるとか。
じゃないとボランティアの負担があまりにも大きいような気がして…
もちろん、そういういろんな手配する人件費が必要だとも
思いますが、そもそもそれをやるのが首都圏の人でなく、
被災地で雇用がない人たちが国の援助を受けて空いている時間で
そういう事をするとか…
なんかそんなことを考えていると、何となく腑に落ちない部分も
自分の中で出てきたりして、まあ、いろんな仕組みがあると思う
のですがなんかもうちょっと、それこそ民間に任せるのではなく
国とコラボして瓦礫広域処理なんかよりも、実際に早く復興に
向けての活動が出来ないもんかな?
なんて思ったりしちゃうのは、私だけでしょうか??
あくまでも個人的な意見ですけど…
…って、本題に入る前にまたまた悪い癖で
屁理屈じみた長い分を書いてしまいました。
とりあえず、そんなわけで今回もボラバスをやめました。
で、現地ではいまどの程度のボランティアが必要なのか?
実際今一番必要なのはなんなのか?
瓦礫処理?仮設住宅などでのお手伝い?
それよりも観光などで現地に足を運ぶこと??
もちろん、それぞれ必要だと思いますが、
一番はなんなのか??
そして現地の人の生活はどうなっているのか?
それをまず知りに行こうと思いました。
ということで、少し時間ができた今週
急遽、単独弾丸ツアーを決行することに決めました。
初めての東北ツアーの始まりです。
道中に食べた「レモン牛乳ソフト」。
だけどこの時、衝撃の出来事が…
②に続く。。
別にそんな名前のツアーがあるわけではなく、
あくまでも個人的に行ってきたものです。
先月で大震災から一年が経ち、私たちの日常はほぼ震災前と
変わらないスタンスになってきました。もちろん、放射能の問題、
震災瓦礫の問題、原発再稼働の問題、その他諸々毎日のように
ニュースになり、テレビではその情報は少ないけれど、ネット
(特にツイッター上)では毎日のように情報交換がされています。
それでも、私自身もまた毎日の生活に少しずつ染まり始めて
仕事が忙しくてその手の情報をほとんど見れない時などは、仮に
見れていても多分どっかで慣れてきてしまっている自分もいて…
それはそれで、もちろん日々の生活を大切にしなきゃいけないので
悪いことではないと思うのですが、それだけでいいのか?なんて
いろんな矛盾と日々の出来事に追われて、最近は頭の中の整理が
ずっと出来ずにいました。なので何度もブログを書こうと思っても
何故か途中までしか書けなくて…
気づいたら一カ月以上もあいてしまってましたね。
また、私たちの身近な問題は取り上げられても、ちょうど震災から
一年経った時、特番で報じるくらいで被災地の今がどうなっているのか
あまりやらないので、ずっと気になっていました。
それ以外にもいろいろ自分の目で確かめたい事がありました。
そう思い始めると自分でもなかなかこの衝動を止められない…。
ちょっと危ない性格かもです。
(別に変なことはしないのでご安心を!)
ところで被災地といっても、いろんな場所があります。
地震と津波被害が大きかった東北岩手、宮城県沿岸部。
それにプラスして放射能・原発問題が今もなお大きい福島。
もちろん、それ以外にもいろいろあると思いますが
今回私は今まで行ったことのない宮城県石巻を見てみようと
思いました。
実は東北地方は今までもほとんど行ったことがなくて
福島も子供の頃一度親戚の家に行っただけ、昨年が多分2回目。
岩手は一度友達の結婚式で行った位で他は恐らく無いですね。
なので、今回もどこ行こう?と思っていたのですが…。
もともとはボランティアで行こうと思ってずっとチェックしていました。
でも、現在ボランティアで行くにも色々とクリアする部分があり
そう簡単にはできない状況です。
基本的には現在個人的に受け入れをしているところも少なくて、
例えば個人で出来るような、前回行ったいわき市も現在は
週末のみの受け入れ等、いろいろ条件が出来ています。
だから一番行きやすいのはボラバスというボランティア専用の
バスで行くこと。
多分、これが一番手っ取り早いのだと思います。
ほぼ毎週各地へ行くツアーが組まれていますが、
個人的にネックなのは日程。たいていは週末にかけて
予定されていたり、平日でもあるのですがなかなか予定が
合わなかったり、定員割れで開催されなかったり、
逆に早くから申し込まなきゃダメだったり…
そもそもボランティアって、あくまでも個人で無理せず
出来る範囲でやるくらいでないと、なかなか難しいと思っています。
私の場合、仕事の予定が直前まで確定しなかったりするもので
どうしても行くとなると直前の判断になってしまいます。
もちろん、事前に予定していくことも出来ますが、
その為に自分の仕事を断ることになる可能性もあり、
今はもうそういう時期は超えたかな?とも思っています。
ある程度自分の生活が成り立たないと人の事まで構えないのが、
多分たいていの人はそうだと思いますし、中にはもちろん
自分を犠牲にしてでも被災地へ足を運んでという方もいると思いますが、
それはとても素晴らしいけれど、本来はその分をある程度
国が補償する等制度が必要だと思っています。
そういう事に赤十字等に集まった義捐金を使うとか…。
また、ボラバスツアーで行くとしても例えば一日のみで一万円位。
2~3日だと2万円~位の費用が個人負担としてかかります。
その中にはバス代、食事代の一部、宿代なども含まれて
いたりしますが…
それにプラスして現地での決して安全とは言えない作業です。
被災地では瓦礫撤去なども決して安全ではありません。
怪我をする可能性だってあるし、まだまだ小さな地震も頻発していて
もしかしたら大きな地震がその際に来るかもしれません。
ある程度の危険を伴うことなんです。
で、これは文句ではないのですが、その費用が丸々被災地に
落ちるならまだいいと思うのですが、あくまでもツアー代金として
組まれているので、もちろん、その中の一部は被災地に
落ちていたり、実際人手を手配してくれるという意味ではいいと
思うのですが、ガソリン代はともかく東北までの高速代などは、
ボランティア車両に関しては今月以降も高速道路の無料化が
申請すれば適用されていますので、せめてもう少し気軽に
参加できるような形に出来ないのかな?って思ったりします。
例えば一回5000円位までで参加できるとか。
じゃないとボランティアの負担があまりにも大きいような気がして…
もちろん、そういういろんな手配する人件費が必要だとも
思いますが、そもそもそれをやるのが首都圏の人でなく、
被災地で雇用がない人たちが国の援助を受けて空いている時間で
そういう事をするとか…
なんかそんなことを考えていると、何となく腑に落ちない部分も
自分の中で出てきたりして、まあ、いろんな仕組みがあると思う
のですがなんかもうちょっと、それこそ民間に任せるのではなく
国とコラボして瓦礫広域処理なんかよりも、実際に早く復興に
向けての活動が出来ないもんかな?
なんて思ったりしちゃうのは、私だけでしょうか??
あくまでも個人的な意見ですけど…
…って、本題に入る前にまたまた悪い癖で
屁理屈じみた長い分を書いてしまいました。
とりあえず、そんなわけで今回もボラバスをやめました。
で、現地ではいまどの程度のボランティアが必要なのか?
実際今一番必要なのはなんなのか?
瓦礫処理?仮設住宅などでのお手伝い?
それよりも観光などで現地に足を運ぶこと??
もちろん、それぞれ必要だと思いますが、
一番はなんなのか??
そして現地の人の生活はどうなっているのか?
それをまず知りに行こうと思いました。
ということで、少し時間ができた今週
急遽、単独弾丸ツアーを決行することに決めました。
初めての東北ツアーの始まりです。
道中に食べた「レモン牛乳ソフト」。
だけどこの時、衝撃の出来事が…
②に続く。。
2012年01月13日
食べること、働くこと、生きること③ ~生きるということ~
生きるということ
このタイトルのブログを書き始めて早一ヶ月が経ってしまいました。
このひと月は本当にバタバタと慌しい日々が続いていました。
しかもふと思いついて書いたタイトルなのに、この内容について
この間改めて思い知らされる出来事ばかりが起きました。
怒涛のように仕事に追われた先月。
仕事の大切さを痛感して、ようやく年末の休みに入るという前日
母から年末予定していた旅行をキャンセルするという連絡を受けました。
理由は義父の体調が悪くなったということ。
気になって仕事帰りに実家へ寄ったら
いつもと違って全く元気の無い義父の姿が。
何でも、12月の頭に風邪をひいて近所の病院へ行ったら
結構強めの薬を出されたそうで、普段から心臓病の薬をたくさん
飲んでいる義父は薬の飲み過ぎで胃潰瘍のような症状に
なっており、胃から出血しているとのこと。。
(ちなみに義父は、心臓の人工弁の手術を10年以上前にしていて
普段は元気なんですけど一応、一級障害者なんです)
よく見ると顔も手も血の気の引いた白い色になっている。
かかりつけの病院へ検査に行ってからすでに1週間以上経っており、
次の予定を聞いたら年明けの定期検診まで待つというから
今すぐ電話して明日病院で診てもらうよう促しました。
本来は風邪でもかかりつけの病院へ行ったほうがいいのですが
ちょっと離れているので行くのもだるかったらしく近くの病院へ
お薬手帳を持って診てもらったとのこと。
だけどどうやらそれがいけなかったようです。
翌日、義父と母を連れてかかりつけの病院へ。
検査の結果、体の中の血液がだいぶ少なくなっており
至急輸血を要され、そのまま緊急入院することに。
え〜っ!まさかそんなに悪かったとは。
どんだけ我慢してたんだよ。って感じです。
そのまま入院して3日後迎えた大晦日。
今年は義父はお正月を病院で迎えるのかと思っていたら
一応点滴が外れ、ご飯も普通に食べれるようになったのと
病院もお正月休みに入る事から一時的に仮退院することに。
病院へまた迎えに行くとなんだか様子が変。
すでに身支度を整えていた義父は病室から出たと同時に
吐き気をもよおした為、心配でまた先生達を呼ぶと
しばらく寝てたので立ちくらみでは?とのことで
心配しながらもそのまま帰宅。
でも家に帰っても一向に良くならずそれどころか悪化するばかり。
せっかく帰って来たのに、ずっと寝てることしか出来ないし
ご飯も食べれない。なんかやっぱりおかしい!
夜また病院へ連れて行こうとしたけど朝まで様子見ると
本人の希望でとりあえず朝を待つことにしました。
気が気じゃないまま年越しを迎え、毎年行く初詣でなんて
もちろん行けるわけなく、なんだか全然おめでたさなんて
感じないまま一人だけ年越しましたそばを食べ迎えた元旦の朝。
朝一番で病院へまた連れて行きました。
初詣ならず初病院詣でです。
先生によるともしかしたらノロウイルスでは?
もちろんそのまままた入院。
翌日の検査結果でやはり軽いノロウイルスに感染していると。
って、お〜い!院内感染じゃんか。
だから病院って意外と怖い。
病院は病気の人がもちろん行くけど、健康な人だって
一緒にいったりするわけで、でもウイルスなんてウヨウヨしている。
私は最初に病院へ行った時から、なるべくマスクして
気をつけていたけど、結局年末年始ほぼ毎日病院へ
行っていたせいもあってか、義父が良くなると同時に
今度は自分と母がなんだか調子が悪くなり
3日の日は完全に寝込んでしまいました。
翌日にはなんとか復活したけど、食欲は湧かずご飯も
全然食べれない。食べることが好きな私には残念な事。
それでもなんとか少しずつ回復して、仕事始めと共に
すっかり良くなり、一安心。
今年はそんな散々なお正月を迎えました。
本当なら年末草津温泉でゆっくりしようなんて
言っていたのに。
でもね、気づいたんです。
病人にはお正月なんて関係ないという事。
病人を抱える家族も。
もちろん、病院だってそう。
いつも当たり前のように迎えていたお正月だって
当たり前じゃなくなってしまうという事。
3.11の大震災を経て、私達が普段当たり前に使っている
電気、ガス、水道のライフラインの大切さ。
当たり前に買っていたものが品薄で買えなくなったり
計画停電で電気が使えなくなったり、当たり前の日常が
当たり前じゃなくなるって事があるってわかっていても
時間が経てばまたそんな思いは薄れてしまう。
震災から10ヶ月が経ち、直接の被災地じゃない私達の
生活はまた以前と変わらないような生活に戻っているけど
被災地の方々はもちろん、元旦からこの辺でもちょっと
大きめの地震があったように地震はまだまだ続いているし、
テレビじゃ全く話題にならなくなった福島原発の状態だって
現在4号機の倒壊危機が懸念されていて、これが倒れたら
震災直後、菅さんが言っていた最悪のシナリオだってまだ
なりかねない状態。
だから政府が年末にかけて出した収束宣言なんて
まだまだ本当は程遠い。
私達はそういう危機感の中で今生活をしていることを
年が変ったからって忘れちゃいけないと思います。
またいつ当たり前の日常が次の瞬間なくなるかもしれない。
だからといって、未来を絶望し日々不安になりながら
生きていても仕方なく、自分たちの中で危機管理しながら
日々を大切に生きて行くことが、そして少しでも考えて
賢く生きて行くことが、今の私達に求められているんじゃ
ないかって思います。
当たり前のことについて、食べること、働くことの意味や
その背景、生きることってどういうことなのか…
何の為に、私達は生きているのか、生かされているのか…
そしてこれからの未来の為にできる事は??
うちの母もよく過去の出来事について私に謝って来たり
くよくよしたりしてるけど、私にとってそれはもうどうでもいいこと。
確かに過去は過去だけど、人間って都合よく忘れる事が
できるもので (特に私は忘れっぽすぎるけど)
だから過去の出来事を悔やむんじゃなく、その経験を活かして
今をどう生きるか、そしてそれが自然と未来に繋がっていく。
だから今が大事。
もちろん、未来をどうしたいかを考えることで
今の行動が決まる。
このブログの最初でも書いたように、私は別に長生きなんて
したいと思ってないけど、死ぬ時に後悔するような生き方は
出来るだけしたくない。だから何かで迷った時もその判断基準は
自分が後悔するかしないか?
それが誰かにもしかしたら迷惑をかけているかもしれない事でも
基本みんな自分勝手に自分の人生を歩んでいるんだから
どこかでその分は返せばいいと思っています。
だからもし今自分がいなくなったとしても、正直後悔はありません。
これからもそう生きて行きたい。
その為にはなるべく健康でいる事が一番で
病気になると食べれないし、やる気も起きないし、
みんなに迷惑かけるし、つまらない。
これから放射能でそうなりやすくなるのも嫌だし、
周りの人がなるのも嫌だからこうやってブログを通じて
こんな思いを発信しています。
だから当たり前のことに感謝しながら、
働く時はちゃんと働いて、美味しいもの食べて、
遊ぶ時はめいっぱい楽しんで遊んで、
少しでも経済をまわしながら
日々と未来を大切に、今を生きていきたいと思います。
その為にやっぱり情報収集は欠かせないし、
瞬時の判断力を養うことも大事。
今年はもっとその辺を強化して、私ができる範囲で
皆さんにもお伝えしていければと思っています。
かなり長くなりましたが、最後までご覧頂き
ありがとうございました。 <(_ _)>
今年の課題は盛りだくさんだぁ~。
このタイトルのブログを書き始めて早一ヶ月が経ってしまいました。
このひと月は本当にバタバタと慌しい日々が続いていました。
しかもふと思いついて書いたタイトルなのに、この内容について
この間改めて思い知らされる出来事ばかりが起きました。
怒涛のように仕事に追われた先月。
仕事の大切さを痛感して、ようやく年末の休みに入るという前日
母から年末予定していた旅行をキャンセルするという連絡を受けました。
理由は義父の体調が悪くなったということ。
気になって仕事帰りに実家へ寄ったら
いつもと違って全く元気の無い義父の姿が。
何でも、12月の頭に風邪をひいて近所の病院へ行ったら
結構強めの薬を出されたそうで、普段から心臓病の薬をたくさん
飲んでいる義父は薬の飲み過ぎで胃潰瘍のような症状に
なっており、胃から出血しているとのこと。。
(ちなみに義父は、心臓の人工弁の手術を10年以上前にしていて
普段は元気なんですけど一応、一級障害者なんです)
よく見ると顔も手も血の気の引いた白い色になっている。
かかりつけの病院へ検査に行ってからすでに1週間以上経っており、
次の予定を聞いたら年明けの定期検診まで待つというから
今すぐ電話して明日病院で診てもらうよう促しました。
本来は風邪でもかかりつけの病院へ行ったほうがいいのですが
ちょっと離れているので行くのもだるかったらしく近くの病院へ
お薬手帳を持って診てもらったとのこと。
だけどどうやらそれがいけなかったようです。
翌日、義父と母を連れてかかりつけの病院へ。
検査の結果、体の中の血液がだいぶ少なくなっており
至急輸血を要され、そのまま緊急入院することに。
え〜っ!まさかそんなに悪かったとは。
どんだけ我慢してたんだよ。って感じです。
そのまま入院して3日後迎えた大晦日。
今年は義父はお正月を病院で迎えるのかと思っていたら
一応点滴が外れ、ご飯も普通に食べれるようになったのと
病院もお正月休みに入る事から一時的に仮退院することに。
病院へまた迎えに行くとなんだか様子が変。
すでに身支度を整えていた義父は病室から出たと同時に
吐き気をもよおした為、心配でまた先生達を呼ぶと
しばらく寝てたので立ちくらみでは?とのことで
心配しながらもそのまま帰宅。
でも家に帰っても一向に良くならずそれどころか悪化するばかり。
せっかく帰って来たのに、ずっと寝てることしか出来ないし
ご飯も食べれない。なんかやっぱりおかしい!
夜また病院へ連れて行こうとしたけど朝まで様子見ると
本人の希望でとりあえず朝を待つことにしました。
気が気じゃないまま年越しを迎え、毎年行く初詣でなんて
もちろん行けるわけなく、なんだか全然おめでたさなんて
感じないまま一人だけ年越しましたそばを食べ迎えた元旦の朝。
朝一番で病院へまた連れて行きました。
初詣ならず初病院詣でです。
先生によるともしかしたらノロウイルスでは?
もちろんそのまままた入院。
翌日の検査結果でやはり軽いノロウイルスに感染していると。
って、お〜い!院内感染じゃんか。
だから病院って意外と怖い。
病院は病気の人がもちろん行くけど、健康な人だって
一緒にいったりするわけで、でもウイルスなんてウヨウヨしている。
私は最初に病院へ行った時から、なるべくマスクして
気をつけていたけど、結局年末年始ほぼ毎日病院へ
行っていたせいもあってか、義父が良くなると同時に
今度は自分と母がなんだか調子が悪くなり
3日の日は完全に寝込んでしまいました。
翌日にはなんとか復活したけど、食欲は湧かずご飯も
全然食べれない。食べることが好きな私には残念な事。
それでもなんとか少しずつ回復して、仕事始めと共に
すっかり良くなり、一安心。
今年はそんな散々なお正月を迎えました。
本当なら年末草津温泉でゆっくりしようなんて
言っていたのに。
でもね、気づいたんです。
病人にはお正月なんて関係ないという事。
病人を抱える家族も。
もちろん、病院だってそう。
いつも当たり前のように迎えていたお正月だって
当たり前じゃなくなってしまうという事。
3.11の大震災を経て、私達が普段当たり前に使っている
電気、ガス、水道のライフラインの大切さ。
当たり前に買っていたものが品薄で買えなくなったり
計画停電で電気が使えなくなったり、当たり前の日常が
当たり前じゃなくなるって事があるってわかっていても
時間が経てばまたそんな思いは薄れてしまう。
震災から10ヶ月が経ち、直接の被災地じゃない私達の
生活はまた以前と変わらないような生活に戻っているけど
被災地の方々はもちろん、元旦からこの辺でもちょっと
大きめの地震があったように地震はまだまだ続いているし、
テレビじゃ全く話題にならなくなった福島原発の状態だって
現在4号機の倒壊危機が懸念されていて、これが倒れたら
震災直後、菅さんが言っていた最悪のシナリオだってまだ
なりかねない状態。
だから政府が年末にかけて出した収束宣言なんて
まだまだ本当は程遠い。
私達はそういう危機感の中で今生活をしていることを
年が変ったからって忘れちゃいけないと思います。
またいつ当たり前の日常が次の瞬間なくなるかもしれない。
だからといって、未来を絶望し日々不安になりながら
生きていても仕方なく、自分たちの中で危機管理しながら
日々を大切に生きて行くことが、そして少しでも考えて
賢く生きて行くことが、今の私達に求められているんじゃ
ないかって思います。
当たり前のことについて、食べること、働くことの意味や
その背景、生きることってどういうことなのか…
何の為に、私達は生きているのか、生かされているのか…
そしてこれからの未来の為にできる事は??
うちの母もよく過去の出来事について私に謝って来たり
くよくよしたりしてるけど、私にとってそれはもうどうでもいいこと。
確かに過去は過去だけど、人間って都合よく忘れる事が
できるもので (特に私は忘れっぽすぎるけど)
だから過去の出来事を悔やむんじゃなく、その経験を活かして
今をどう生きるか、そしてそれが自然と未来に繋がっていく。
だから今が大事。
もちろん、未来をどうしたいかを考えることで
今の行動が決まる。
このブログの最初でも書いたように、私は別に長生きなんて
したいと思ってないけど、死ぬ時に後悔するような生き方は
出来るだけしたくない。だから何かで迷った時もその判断基準は
自分が後悔するかしないか?
それが誰かにもしかしたら迷惑をかけているかもしれない事でも
基本みんな自分勝手に自分の人生を歩んでいるんだから
どこかでその分は返せばいいと思っています。
だからもし今自分がいなくなったとしても、正直後悔はありません。
これからもそう生きて行きたい。
その為にはなるべく健康でいる事が一番で
病気になると食べれないし、やる気も起きないし、
みんなに迷惑かけるし、つまらない。
これから放射能でそうなりやすくなるのも嫌だし、
周りの人がなるのも嫌だからこうやってブログを通じて
こんな思いを発信しています。
だから当たり前のことに感謝しながら、
働く時はちゃんと働いて、美味しいもの食べて、
遊ぶ時はめいっぱい楽しんで遊んで、
少しでも経済をまわしながら
日々と未来を大切に、今を生きていきたいと思います。
その為にやっぱり情報収集は欠かせないし、
瞬時の判断力を養うことも大事。
今年はもっとその辺を強化して、私ができる範囲で
皆さんにもお伝えしていければと思っています。
かなり長くなりましたが、最後までご覧頂き
ありがとうございました。 <(_ _)>
今年の課題は盛りだくさんだぁ~。
2011年12月11日
食べること、働くこと、生きること ①
食べること、働くこと、生きること…
今日で大震災からちょうど9ヶ月。。
前回のブログ更新からも随分と時間経ってしまいました。
次回はもっと早く更新しま~す!なんていいながら
前回より更に遅くなってしまいました。すみません
エコモノ市で塩麹つくりした事や充麦さんで小麦の種まきの
お手伝いをした事など書こうと思っていたのですが、
先月半ば、携帯の機種変更をした際に誤ってすべてのデータを
消してしまいました…。
最近は写真もデジカメじゃ無く、もっぱら携帯(特に仕事用の
iPhone)で撮っていたのですが、3Gから4Sに切り替え、
データを移行しようと思ったら、誤って復元ボタンを押しちゃいました。。
お持ちの方はお分かりになると思いますが、がび~んって感じです。
ここ最近のバックアップをとってなかったので、ブログ用に撮っていた
最近の写真も全部無くなってしまいました
それプラス、最近かなり忙しい日々が続いていたのも言い訳のひとつ。。
でも言い訳ばかりじゃダメですね!
…と、いうことで久しぶりに更新です。
先にも書きましたが、3月11日の大震災から今日でちょうど9ヶ月が
経ちました。個人的にはものすごく早く感じますが、被災地の人たちに
とってはまた違う風に感じているのかも知れません。
津波や地震被害のあったエリアでは、瓦礫処理などもだいぶ進んで震災前と
あまり変わらなく過ごせるようになった場所もあれば、まだまだ復興には
遠いエリアもあるようです。それでもそれなりの時間が経てば、少しずつ
復興に向けて前進していく事でしょう。
ただ、時間が経っても福島の原発事故の影響だけは多方面で波紋が広がって
います。そのひとつがやはり一番大きな食の問題。
原発からの直接影響ある空間線量は、事故当時に比べたらだいぶ少なくなって
来ていますが、それでも震災前よりはかなり高いですし、ホットスポットや
今は各地で瓦礫処理の受け入れにより、燃やした時に出る煙によって
空間線量が一時的に高くなったりしています。
放射性物質の種類によっては、簡単に測れないものもあるので一般的に
出ているデータだけを信じていいというわけでもなさそうです。
空気中の放射性物質は、塵や埃などに付着して空気を吸い込む時に
一緒に入ってきてしまう可能性があるので、今はインフルエンザや風邪予防の
為にもなるべくマスクをしておくのがベストなんだと思いますが、
そんな私も普段の生活では、気になる時以外はほとんどしていません。
前回、学校給食の検査について触れましたが、その後は各地の学校でも
検査が始まっているようです。少しずつ前進ですね。
ただ、先日は赤ちゃん用の粉ミルクからセシウムが検出されるという
ニュースが出ました。このニュースを聞いた人で「え~!?」って思った人も
いれば私みたいに、「そりゃそうでしょ。」ともう驚かない人も多いのでは
ないかと思っています。(まだ少数派なのかな?)
でもそれって、嫌ですよね。どっかでもう感覚が麻痺し始めている。
ただやっぱり粉ミルクをあげているお母さん達は心配でしょうし、
いろんな事気にしなきゃいけないから、とっても大変だと思います。
言わなくてもわかるかも知れませんが、私は食べる事が大好きです。
作る事よりも食べる事の方が大好きだから、食べるものはちゃんと
選びたいと思うようになりました。それはきっと今住んでいる環境や
以前勤めていた建築会社に居た時に学んだ事、感じた事も大きな
きっかけになっています。
10代、20代の若い時のように、とりあえず美味しければ何でもいい
というわけじゃなく、本当に美味しいと思えるモノに出会った時、
その背景とかも知る事でよりそれが美味しいと思えるし、
感謝の気持ちや価値観が生まれます。
もちろん今でも時々は添加物だらけのジャンクフードを食べたくなって
しまう時もあるし、実際食べたりしていますが、それでも出来る限りは
添加物の少ないものやちゃんとしたものを食べるようにしています。
別に人より長生きしたいわけじゃありません。
むしろそんな長生きしたいとも思っていませんが、出来れば生きているうちは
なるべく病気にならないようにしたいと思っています。
だって病気で苦しむのは嫌ですし、病院で薬漬けも嫌です。
だからなるべく病気にならないようにしたいんです。
そんな単純なこと。
でも先日、とても久しぶりに風邪をひきました。
このところの温度差にやられました。
週末出店では一日中外にいるので、朝から夕方にかけての気温差が
激しかったり、予報よりも暑い分にはまだいいですが、寒かったりすると
対策不足だったりします。そんな中、久しぶり体調を崩したのは
若干、免疫力も落ちてしまってたんだと思います。
ただ、食べるものを意識するようになってから、以前は風邪でも行っていた
病院にも全く行かなくなりましたし、市販の薬もここ数年はほとんど飲んでません。
そうしたら、自分の体が何かあればすごい早く反応するようになって
そのうちどうしたらいいのか、少しずつわかるようになってきました。
あくまでも自己判断ですが。。
でも、体は正直なので必要なものをちゃんと欲するようになっています。
例えば、この前喉が痛くなった時に効いたのはホット梅酒のロック。
(ただ呑みたかっただけじゃないですよ!)
飲んだ時は結構喉に沁みましたが、喉の痛みがあっという間に消えました。
梅にはもともと殺菌効果があるのと、ホットにすることで体もポカポカ♪
次の日はなんだか無性に辛いものが食べたくなって、普段はあまり得意じゃないのですが
体の発熱を促すためにあえて唐辛子などの効いた四川の麻婆豆腐
(私は陳健一さんの麻婆豆腐をチョイス)を食べました。
お腹いっぱいに食べて、体はポカポカを超えて夕方には発熱。予定通りです。
だって熱を出さなきゃ体の中のウイルスが死滅しないから。
ということで、今回も風邪薬は飲まず、熱にちょっと苦しみましたが
体の中でウイルスと戦っている感がなんだか堪らない感じ。
もちろん、すごい高熱の時はもっと慎重にならなきゃいけないかもですが、
このくらいの熱だとなんだかゲームで最後のボスキャラと戦っているようで
翌朝熱が一気に下がった時は爽快ですらあります。
あ、あくまでも私の荒療法なのであんまり参考にしないで下さいね。
そんなこんなで、放射能以外でもなるべく添加物や副作用がある薬など
摂らない事で、出来る限り病気にならない体づくりをしたいし
日本人の一番の死亡原因であるガンにも出来ればなりたくないので、
少しでもその原因になるものは避けたいし、皆さんにも出来るだけ
避けて欲しいなと思います。
それでも今はいろんなモノが蔓延しているし、ストレスとかいろんな原因が
あるからそのリスクからはそんなに簡単に逃れられないかと思いますが、
何より子供の頃にどんなものを食べたかというのは後々影響してきますので、
お子様達には出来る限り安心なものを食べれる環境を、
そんな生活を少しずつでも取り戻せていけたらと思っています。
今一度、自分や家族、大切な人たちの為にも
食べ物の事、体のこと考えてみませんか??
長くなってしまったので、続きはまた次回。。
今日で大震災からちょうど9ヶ月。。
前回のブログ更新からも随分と時間経ってしまいました。
次回はもっと早く更新しま~す!なんていいながら
前回より更に遅くなってしまいました。すみません
エコモノ市で塩麹つくりした事や充麦さんで小麦の種まきの
お手伝いをした事など書こうと思っていたのですが、
先月半ば、携帯の機種変更をした際に誤ってすべてのデータを
消してしまいました…。
最近は写真もデジカメじゃ無く、もっぱら携帯(特に仕事用の
iPhone)で撮っていたのですが、3Gから4Sに切り替え、
データを移行しようと思ったら、誤って復元ボタンを押しちゃいました。。
お持ちの方はお分かりになると思いますが、がび~んって感じです。
ここ最近のバックアップをとってなかったので、ブログ用に撮っていた
最近の写真も全部無くなってしまいました
それプラス、最近かなり忙しい日々が続いていたのも言い訳のひとつ。。
でも言い訳ばかりじゃダメですね!
…と、いうことで久しぶりに更新です。
先にも書きましたが、3月11日の大震災から今日でちょうど9ヶ月が
経ちました。個人的にはものすごく早く感じますが、被災地の人たちに
とってはまた違う風に感じているのかも知れません。
津波や地震被害のあったエリアでは、瓦礫処理などもだいぶ進んで震災前と
あまり変わらなく過ごせるようになった場所もあれば、まだまだ復興には
遠いエリアもあるようです。それでもそれなりの時間が経てば、少しずつ
復興に向けて前進していく事でしょう。
ただ、時間が経っても福島の原発事故の影響だけは多方面で波紋が広がって
います。そのひとつがやはり一番大きな食の問題。
原発からの直接影響ある空間線量は、事故当時に比べたらだいぶ少なくなって
来ていますが、それでも震災前よりはかなり高いですし、ホットスポットや
今は各地で瓦礫処理の受け入れにより、燃やした時に出る煙によって
空間線量が一時的に高くなったりしています。
放射性物質の種類によっては、簡単に測れないものもあるので一般的に
出ているデータだけを信じていいというわけでもなさそうです。
空気中の放射性物質は、塵や埃などに付着して空気を吸い込む時に
一緒に入ってきてしまう可能性があるので、今はインフルエンザや風邪予防の
為にもなるべくマスクをしておくのがベストなんだと思いますが、
そんな私も普段の生活では、気になる時以外はほとんどしていません。
前回、学校給食の検査について触れましたが、その後は各地の学校でも
検査が始まっているようです。少しずつ前進ですね。
ただ、先日は赤ちゃん用の粉ミルクからセシウムが検出されるという
ニュースが出ました。このニュースを聞いた人で「え~!?」って思った人も
いれば私みたいに、「そりゃそうでしょ。」ともう驚かない人も多いのでは
ないかと思っています。(まだ少数派なのかな?)
でもそれって、嫌ですよね。どっかでもう感覚が麻痺し始めている。
ただやっぱり粉ミルクをあげているお母さん達は心配でしょうし、
いろんな事気にしなきゃいけないから、とっても大変だと思います。
言わなくてもわかるかも知れませんが、私は食べる事が大好きです。
作る事よりも食べる事の方が大好きだから、食べるものはちゃんと
選びたいと思うようになりました。それはきっと今住んでいる環境や
以前勤めていた建築会社に居た時に学んだ事、感じた事も大きな
きっかけになっています。
10代、20代の若い時のように、とりあえず美味しければ何でもいい
というわけじゃなく、本当に美味しいと思えるモノに出会った時、
その背景とかも知る事でよりそれが美味しいと思えるし、
感謝の気持ちや価値観が生まれます。
もちろん今でも時々は添加物だらけのジャンクフードを食べたくなって
しまう時もあるし、実際食べたりしていますが、それでも出来る限りは
添加物の少ないものやちゃんとしたものを食べるようにしています。
別に人より長生きしたいわけじゃありません。
むしろそんな長生きしたいとも思っていませんが、出来れば生きているうちは
なるべく病気にならないようにしたいと思っています。
だって病気で苦しむのは嫌ですし、病院で薬漬けも嫌です。
だからなるべく病気にならないようにしたいんです。
そんな単純なこと。
でも先日、とても久しぶりに風邪をひきました。
このところの温度差にやられました。
週末出店では一日中外にいるので、朝から夕方にかけての気温差が
激しかったり、予報よりも暑い分にはまだいいですが、寒かったりすると
対策不足だったりします。そんな中、久しぶり体調を崩したのは
若干、免疫力も落ちてしまってたんだと思います。
ただ、食べるものを意識するようになってから、以前は風邪でも行っていた
病院にも全く行かなくなりましたし、市販の薬もここ数年はほとんど飲んでません。
そうしたら、自分の体が何かあればすごい早く反応するようになって
そのうちどうしたらいいのか、少しずつわかるようになってきました。
あくまでも自己判断ですが。。
でも、体は正直なので必要なものをちゃんと欲するようになっています。
例えば、この前喉が痛くなった時に効いたのはホット梅酒のロック。
(ただ呑みたかっただけじゃないですよ!)
飲んだ時は結構喉に沁みましたが、喉の痛みがあっという間に消えました。
梅にはもともと殺菌効果があるのと、ホットにすることで体もポカポカ♪
次の日はなんだか無性に辛いものが食べたくなって、普段はあまり得意じゃないのですが
体の発熱を促すためにあえて唐辛子などの効いた四川の麻婆豆腐
(私は陳健一さんの麻婆豆腐をチョイス)を食べました。
お腹いっぱいに食べて、体はポカポカを超えて夕方には発熱。予定通りです。
だって熱を出さなきゃ体の中のウイルスが死滅しないから。
ということで、今回も風邪薬は飲まず、熱にちょっと苦しみましたが
体の中でウイルスと戦っている感がなんだか堪らない感じ。
もちろん、すごい高熱の時はもっと慎重にならなきゃいけないかもですが、
このくらいの熱だとなんだかゲームで最後のボスキャラと戦っているようで
翌朝熱が一気に下がった時は爽快ですらあります。
あ、あくまでも私の荒療法なのであんまり参考にしないで下さいね。
そんなこんなで、放射能以外でもなるべく添加物や副作用がある薬など
摂らない事で、出来る限り病気にならない体づくりをしたいし
日本人の一番の死亡原因であるガンにも出来ればなりたくないので、
少しでもその原因になるものは避けたいし、皆さんにも出来るだけ
避けて欲しいなと思います。
それでも今はいろんなモノが蔓延しているし、ストレスとかいろんな原因が
あるからそのリスクからはそんなに簡単に逃れられないかと思いますが、
何より子供の頃にどんなものを食べたかというのは後々影響してきますので、
お子様達には出来る限り安心なものを食べれる環境を、
そんな生活を少しずつでも取り戻せていけたらと思っています。
今一度、自分や家族、大切な人たちの為にも
食べ物の事、体のこと考えてみませんか??
長くなってしまったので、続きはまた次回。。
2011年09月10日
震災から半年。。
震災から半年が経ちました。。
だいぶ秋の風になって来ましたが、まだまだ汗ばむ陽気ですね。
ただ虫の声も多くなってきて、夜はやっぱり涼しくなって来てるから
秋をちょっとずつ感じます。
私にとっては本当にあっという間の半年でしたが、
まだまだ避難所生活を強いられている方、普通の生活に戻る
見通しの立たない方も、たくさんいらっしゃると思います。
その方達にとっては、きっと長い日々だったと思います。
皆さんはどんな半年間でしたか?
本当の復興はまだまだこれからだと思いますが、
この半年間を経て、やっぱり思うのは一人ひとりがきちんと
いろんな事に向きあって、これからの自分の生き方と
日本や世界の未来についても真剣に考えてみる事が
そして小さな行動でもする事がとても大切なんだと思っています。
今まで私たちはとても幸せすぎたのかもしれません。
ところで義援金はどうなっているのかな??
先日、『最近、クルミのブログを見ると原発とか放射能の事
ばっかり書いてるけど、お前は山本太郎かっ!』って
前の会社の人と飲んでる時に突っ込まれてしまいました。
偶然にも私の隣に山本太郎さんという同姓同名の方がいたので、
『山本太郎さんはこちらです。』ってオチがつきましたけど。
まあ、それはそうと私も好きで書いてるわけじゃないんですが、
毎回言うようにどうしても食や野菜を扱うモノとして切って離せない問題だし、
一消費者としてもやっぱり気にせずにはいられないです。
もちろん子供が一番影響受けやすいですが、20代30代はもちろん、
40代だってそれなりに気にした方がいいし、それ以降の人達だって
ある程度の影響はあると思うので、本当なら出来る限り気にしてほしい。
その上で、いろんな思いがあるでしょうからそれは自分達の判断で
選べばいいと思いますけど。。
ただ本当なら個人レベルじゃない事まで、個人レベルで判断しなきゃいけない。
その割にはいろんな情報規制がされてるし、なにせ国がしてる政策だから、
なにかというと不安を煽るなだの風評被害だのといって、
一方しか情報を流さないので、だから私達ネットユーザーが
あれこれ調べたり情報共有して、考える判断材料にしているんです。
国民だって馬鹿じゃないんだし、今は昔と違うのだから、
情報規制や統制なんて完全になんて出来ないのに。
もちろん時には間違った情報も流れたりしますが、
今の世の中間違いだらけ。
大臣もちょっと不適切な発言をしたら降ろせの嵐。
もう本当にいい加減にして欲しい。
こんなことばかり繰り返してたら、一向に進まない。
そんなことより、そうなったのはなんでなのかをもっと追及すべきだし
誰かの揚げ足取るよりももっとやらなきゃいけない事や
考えなきゃいけない事があるはずですよね?
震災から半年経っても結局なんにも変わってない。
食の暫定基準値は引き上げられたまま、下がる様子なんて全然ない。。
暫定基準値はあくまでも原発事故対応のための、
一時的な措置の値なのに、国がやる除染作業もまだ
実験的な感じでしか進んでないのに、被災地では
農作物の作付けが始まろうとしてたり、原発稼動し始めたり、
本当に復興に向かっているのか私には謎です。
それまで日本じゃ輸入禁止にしてた基準の何倍もの基準値に
簡単に引き上げたのだから諸外国の人が日本のモノ買わないのも
無理ないし。 他にも気にしなくちゃいけない事が盛りだくさん。
中にはもう半年もこんなことばかりで疲れちゃった。っていう人も
いると思います。そんな私も時々疲れちゃいます。
でもその分、みんなから元気をもらっています♪
って、あ~ また書いちゃった。
今日はちゃんとスープ屋さんのブログを書こうと思ってたのに
結局また書いちゃいました。
・・・という事で、ちょっと気持ちを切り替えて。
最近は今の地元、横須賀市内での販売が増えています。
ちなみに今日はソレイユの丘さんに久しぶりに出店しました。
明日は昔の地元四季の森公園さんにこれまたちょっと久しぶりの出店です!
夏の間はちょっと暑過ぎて、断念してました。
四季の森といえば横浜線中山駅が最寄ですが、
先日、新横浜のミスチルライブ行った時、早めに集まって
久しぶりに友達と好々亭の巨大カタヤキソバ食べちゃいました。
あとは知る人ぞ知るまるまフルーツの100円バナナクレープに
ホットツナサンド。さらにカリカリのアイダホポテト。
もちろん一気に全部食べたわけじゃないですよ!
でも子供の頃から食べてるのにどれも変わらない味!
まるまはお値段も変わらず。
色んな事が変わっていくばかりの今の世の中で、
昔から変わらないでいてくれるのがあるのは、有り難いです。
あっ!でも明日四季の森公園さんに来る方は
なるべくそちらで先に食べるの控えて、是非kurumiの後に。。なんて。
話がそれましたが、今月はあと横須賀美術館さんと金沢文庫芸術祭、
今月から開催される団地DEマルシェさん等に出没します。
今の時期って暑いけどちょっと風はひんやりみたいな感じなので
スープも冷たいのがいいか、あったかいのがいいのかかなり迷うんですが、
今月からは一応両方用意してます。
kurumiのスープ、新メニューは、
今時期限定「 冬瓜とオクラと有機押し麦のスープ」
さっぱりとした塩味ベースしょうが風味のスープです。
出汁は昆布と玉ねぎでとってます。もちろん無添加ですよ。
押し麦が入ってるからちょっとトロトロした感じ。
冬瓜もお口の中でトロトロ。
あとはエリンギやにんじんなんかも入ってます。
有機の白ゴマトッピングして、とってもヘルシーで
体に優しいスープです。
ちなみに玄米はまだ昨年の古米を使ってます。
生姜といえば、仲間のほのぼの号さんがハチミツジンジャーなる
オーガニックドリンクを出してますが、生姜ってホントに体にいいんです。
そんな事を書いてる別のブログを先日アップしたので、
良かったらこちらもご覧下さい◎
もうひとつおまけに、先日観た映画ライフの感想など、
エコをテーマにしたこんなブログもひっそりやってますので、
お時間ある方はこちらをご覧下さい。
って、一つにブログまとめんか~いっていう人もいると思いますが、
それぞれちょっとずつニュアンスが違うのでご了承下さい。
もちろん軸は一緒ですけど。
そんなわけで、今日はちょっとだけスープ屋さんブログでした♪
本当はもっと美味しいものとかの話書きたいんだよ~!!
今回も長々ご覧頂きありがとうございました。<(_ _)>
今日はとても長い飛行機雲がこれまた長い時間出てました。
夕暮れ時のひまわり畑が綺麗でした。
冬瓜とオクラと有機押し麦のスープ
だいぶ秋の風になって来ましたが、まだまだ汗ばむ陽気ですね。
ただ虫の声も多くなってきて、夜はやっぱり涼しくなって来てるから
秋をちょっとずつ感じます。
私にとっては本当にあっという間の半年でしたが、
まだまだ避難所生活を強いられている方、普通の生活に戻る
見通しの立たない方も、たくさんいらっしゃると思います。
その方達にとっては、きっと長い日々だったと思います。
皆さんはどんな半年間でしたか?
本当の復興はまだまだこれからだと思いますが、
この半年間を経て、やっぱり思うのは一人ひとりがきちんと
いろんな事に向きあって、これからの自分の生き方と
日本や世界の未来についても真剣に考えてみる事が
そして小さな行動でもする事がとても大切なんだと思っています。
今まで私たちはとても幸せすぎたのかもしれません。
ところで義援金はどうなっているのかな??
先日、『最近、クルミのブログを見ると原発とか放射能の事
ばっかり書いてるけど、お前は山本太郎かっ!』って
前の会社の人と飲んでる時に突っ込まれてしまいました。
偶然にも私の隣に山本太郎さんという同姓同名の方がいたので、
『山本太郎さんはこちらです。』ってオチがつきましたけど。
まあ、それはそうと私も好きで書いてるわけじゃないんですが、
毎回言うようにどうしても食や野菜を扱うモノとして切って離せない問題だし、
一消費者としてもやっぱり気にせずにはいられないです。
もちろん子供が一番影響受けやすいですが、20代30代はもちろん、
40代だってそれなりに気にした方がいいし、それ以降の人達だって
ある程度の影響はあると思うので、本当なら出来る限り気にしてほしい。
その上で、いろんな思いがあるでしょうからそれは自分達の判断で
選べばいいと思いますけど。。
ただ本当なら個人レベルじゃない事まで、個人レベルで判断しなきゃいけない。
その割にはいろんな情報規制がされてるし、なにせ国がしてる政策だから、
なにかというと不安を煽るなだの風評被害だのといって、
一方しか情報を流さないので、だから私達ネットユーザーが
あれこれ調べたり情報共有して、考える判断材料にしているんです。
国民だって馬鹿じゃないんだし、今は昔と違うのだから、
情報規制や統制なんて完全になんて出来ないのに。
もちろん時には間違った情報も流れたりしますが、
今の世の中間違いだらけ。
大臣もちょっと不適切な発言をしたら降ろせの嵐。
もう本当にいい加減にして欲しい。
こんなことばかり繰り返してたら、一向に進まない。
そんなことより、そうなったのはなんでなのかをもっと追及すべきだし
誰かの揚げ足取るよりももっとやらなきゃいけない事や
考えなきゃいけない事があるはずですよね?
震災から半年経っても結局なんにも変わってない。
食の暫定基準値は引き上げられたまま、下がる様子なんて全然ない。。
暫定基準値はあくまでも原発事故対応のための、
一時的な措置の値なのに、国がやる除染作業もまだ
実験的な感じでしか進んでないのに、被災地では
農作物の作付けが始まろうとしてたり、原発稼動し始めたり、
本当に復興に向かっているのか私には謎です。
それまで日本じゃ輸入禁止にしてた基準の何倍もの基準値に
簡単に引き上げたのだから諸外国の人が日本のモノ買わないのも
無理ないし。 他にも気にしなくちゃいけない事が盛りだくさん。
中にはもう半年もこんなことばかりで疲れちゃった。っていう人も
いると思います。そんな私も時々疲れちゃいます。
でもその分、みんなから元気をもらっています♪
って、あ~ また書いちゃった。
今日はちゃんとスープ屋さんのブログを書こうと思ってたのに
結局また書いちゃいました。
・・・という事で、ちょっと気持ちを切り替えて。
最近は今の地元、横須賀市内での販売が増えています。
ちなみに今日はソレイユの丘さんに久しぶりに出店しました。
明日は昔の地元四季の森公園さんにこれまたちょっと久しぶりの出店です!
夏の間はちょっと暑過ぎて、断念してました。
四季の森といえば横浜線中山駅が最寄ですが、
先日、新横浜のミスチルライブ行った時、早めに集まって
久しぶりに友達と好々亭の巨大カタヤキソバ食べちゃいました。
あとは知る人ぞ知るまるまフルーツの100円バナナクレープに
ホットツナサンド。さらにカリカリのアイダホポテト。
もちろん一気に全部食べたわけじゃないですよ!
でも子供の頃から食べてるのにどれも変わらない味!
まるまはお値段も変わらず。
色んな事が変わっていくばかりの今の世の中で、
昔から変わらないでいてくれるのがあるのは、有り難いです。
あっ!でも明日四季の森公園さんに来る方は
なるべくそちらで先に食べるの控えて、是非kurumiの後に。。なんて。
話がそれましたが、今月はあと横須賀美術館さんと金沢文庫芸術祭、
今月から開催される団地DEマルシェさん等に出没します。
今の時期って暑いけどちょっと風はひんやりみたいな感じなので
スープも冷たいのがいいか、あったかいのがいいのかかなり迷うんですが、
今月からは一応両方用意してます。
kurumiのスープ、新メニューは、
今時期限定「 冬瓜とオクラと有機押し麦のスープ」
さっぱりとした塩味ベースしょうが風味のスープです。
出汁は昆布と玉ねぎでとってます。もちろん無添加ですよ。
押し麦が入ってるからちょっとトロトロした感じ。
冬瓜もお口の中でトロトロ。
あとはエリンギやにんじんなんかも入ってます。
有機の白ゴマトッピングして、とってもヘルシーで
体に優しいスープです。
ちなみに玄米はまだ昨年の古米を使ってます。
生姜といえば、仲間のほのぼの号さんがハチミツジンジャーなる
オーガニックドリンクを出してますが、生姜ってホントに体にいいんです。
そんな事を書いてる別のブログを先日アップしたので、
良かったらこちらもご覧下さい◎
もうひとつおまけに、先日観た映画ライフの感想など、
エコをテーマにしたこんなブログもひっそりやってますので、
お時間ある方はこちらをご覧下さい。
って、一つにブログまとめんか~いっていう人もいると思いますが、
それぞれちょっとずつニュアンスが違うのでご了承下さい。
もちろん軸は一緒ですけど。
そんなわけで、今日はちょっとだけスープ屋さんブログでした♪
本当はもっと美味しいものとかの話書きたいんだよ~!!
今回も長々ご覧頂きありがとうございました。<(_ _)>
今日はとても長い飛行機雲がこれまた長い時間出てました。
夕暮れ時のひまわり畑が綺麗でした。
冬瓜とオクラと有機押し麦のスープ
2011年08月24日
これからの私達の生き方は?
これからの私達の生き方が今とても問われています。
島田紳助さんが、昨夜突然、芸能界を引退する発表をしました。
ネット上でも会見前からいろんな憶測が飛んでいました。
賛否両論いろいろあると思いますが、個人的にはなかなか残念です。
彼は過去にトラブルも起こしてきましたし、ちょっとやり過ぎな部分も
あったりしましたが、やっぱり話や進行はとても上手いし、
面白い話や感動する話もとても多かった気がします。
今、あそこまでうまく話せる芸能人って他にいないんじゃないかと思います。
そして、あれだけ話が出来るのは、やっぱりいろんな立場や角度から物事を
見れるからなんだろうなって思います。
ある意味一つの芸能事務所的な役割を果たしていた
最近の彼の活動でそれを一気に手放すのは本当に大変なことだと思います。
それでも、『辞める』という決意をしたのはそれなりの意味があると思うし
今後の大きな影響は避けられないのでしょうね。
従業員もいない小さな小さな一個人経営者の私ですら、自分で責任をもって
やり始めた事を簡単に辞められない難しさと今は直面しています。
(もちろん、今の仕事を辞めたいと思っているわけではありませんけど。。)
最近、テレビを観る人は昔に比べてどんどん減ってきているようです。
もちろん、テレビ以外に楽しめるたくさんのモノや事があるからですが、
特にテレビと原発って結構密接に関わっているので、原発反対派の人が
テレビを観なくなっているという事も増えています。
(私はそれとは別にテレビは大好きなので、ちょっと矛盾してるかもですが。)
そういう意味でもテレビ業界にとっては、かなりダメージが
大きいと思う今回の出来事。
これからどういう波紋を呼ぶのか少し気になるところですが
その一方、昨日は先日菅総理が高速増殖炉の「もんじゅ」は
もう無理だと言ったのに代表が変わるに向けて、もんじゅの修理がはじまる
というニュースがひっそり流れ、他の原発も稼動に向けて動き始まり、
脱原発へのムードはなんだかちょっと薄れつつある感じ。。
ある人はこんな事を言っています。
『島田紳助引退のニュースでまず思い出した言葉。
「マスコミが、芸能ネタなりスキャンダル事件を連日連夜、
執拗に報道している時は注意しなさい。国民に知られたくない事が
必ず裏で起きている。そういう時こそ、新聞の隅から隅まで
目を凝らし小さな小さな記事の中から真実を探りだしなさい」』
この真意がどうなのか捉えるのはもちろん個人の自由ですが、
毎日たくさんの情報が溢れている中、一つの大きな情報や
ただ単に人の意見に流されるのでなく、それを受けた上で
自分でよくよく考え、その情報をどう捕らえるかも必要ですね。
また、アメリカのバージニア州では114年ぶりに地震がおき、
近くの原発2基が外部電源喪失して停止するなど、
世界中で地震と原発の問題が起きている中、
今、一番大きな被害を受けている私達日本は
一体何処へむかっているのでしょうね。。
もう一回大きな地震や事故が起きたら日本はどうなっちゃうのかな?
世の中知れば知るほど、怖いことがたくさんあって、
知らない幸せもあるのかも知れないけれど、
知ってしまった以上は何か行動しなきゃいけないと思うし、
個人の考えと行動がとっても大切な時代になっていると思います。
正直、個人的ないろんな事への思いは本当に複雑で、大して考えていなかった
いままでの生活がいかに平和だったかと思いますが、
私はもっともっといろんな事が知りたいし、
その為に、日々情報収集っていうのが毎日の日課になってしまっています。
今回の大震災でたくさんの人が大好きな土地を離れ、家族と離れ、大切な職を失い
それでも生きていかなきゃいけない現実に、私達はこれからどういう行動をしなきゃ
いけないか。一人一人それぞれの立場で考え、出来る範囲ででも行動しなきゃ
いけないって本気で思っています。
だから私もとてもとても微力ながら、今出来る範囲での事をやっています。
その一つとして、震災から5ヶ月経った日にひっそりと始めたブログがあります。
(本当はもうちょっと違う形でお知らせするつもりでしたが…)
残念ながら放射能はもう避けて通れない状況になっています。
これからの私達に及ぼす健康被害は未知数です。
ほんの少しでも元気に暮らす為の何かの役に立つ情報を
これからは少しずつでも提供していきたいと思っています。
もちろん、私のブログも個人的な意見も多く賛否両論だと思います。
あんまり更新しないのに、いろんなブログばっかり立ち上げて~。って声も中にはありますが
それでもほんの少しでも何かのきっかけになってくれたら幸いです。
ご興味ある方はこちらもご覧ください。
kurumiのLong Life プロジェクト。
島田紳助さんが、昨夜突然、芸能界を引退する発表をしました。
ネット上でも会見前からいろんな憶測が飛んでいました。
賛否両論いろいろあると思いますが、個人的にはなかなか残念です。
彼は過去にトラブルも起こしてきましたし、ちょっとやり過ぎな部分も
あったりしましたが、やっぱり話や進行はとても上手いし、
面白い話や感動する話もとても多かった気がします。
今、あそこまでうまく話せる芸能人って他にいないんじゃないかと思います。
そして、あれだけ話が出来るのは、やっぱりいろんな立場や角度から物事を
見れるからなんだろうなって思います。
ある意味一つの芸能事務所的な役割を果たしていた
最近の彼の活動でそれを一気に手放すのは本当に大変なことだと思います。
それでも、『辞める』という決意をしたのはそれなりの意味があると思うし
今後の大きな影響は避けられないのでしょうね。
従業員もいない小さな小さな一個人経営者の私ですら、自分で責任をもって
やり始めた事を簡単に辞められない難しさと今は直面しています。
(もちろん、今の仕事を辞めたいと思っているわけではありませんけど。。)
最近、テレビを観る人は昔に比べてどんどん減ってきているようです。
もちろん、テレビ以外に楽しめるたくさんのモノや事があるからですが、
特にテレビと原発って結構密接に関わっているので、原発反対派の人が
テレビを観なくなっているという事も増えています。
(私はそれとは別にテレビは大好きなので、ちょっと矛盾してるかもですが。)
そういう意味でもテレビ業界にとっては、かなりダメージが
大きいと思う今回の出来事。
これからどういう波紋を呼ぶのか少し気になるところですが
その一方、昨日は先日菅総理が高速増殖炉の「もんじゅ」は
もう無理だと言ったのに代表が変わるに向けて、もんじゅの修理がはじまる
というニュースがひっそり流れ、他の原発も稼動に向けて動き始まり、
脱原発へのムードはなんだかちょっと薄れつつある感じ。。
ある人はこんな事を言っています。
『島田紳助引退のニュースでまず思い出した言葉。
「マスコミが、芸能ネタなりスキャンダル事件を連日連夜、
執拗に報道している時は注意しなさい。国民に知られたくない事が
必ず裏で起きている。そういう時こそ、新聞の隅から隅まで
目を凝らし小さな小さな記事の中から真実を探りだしなさい」』
この真意がどうなのか捉えるのはもちろん個人の自由ですが、
毎日たくさんの情報が溢れている中、一つの大きな情報や
ただ単に人の意見に流されるのでなく、それを受けた上で
自分でよくよく考え、その情報をどう捕らえるかも必要ですね。
また、アメリカのバージニア州では114年ぶりに地震がおき、
近くの原発2基が外部電源喪失して停止するなど、
世界中で地震と原発の問題が起きている中、
今、一番大きな被害を受けている私達日本は
一体何処へむかっているのでしょうね。。
もう一回大きな地震や事故が起きたら日本はどうなっちゃうのかな?
世の中知れば知るほど、怖いことがたくさんあって、
知らない幸せもあるのかも知れないけれど、
知ってしまった以上は何か行動しなきゃいけないと思うし、
個人の考えと行動がとっても大切な時代になっていると思います。
正直、個人的ないろんな事への思いは本当に複雑で、大して考えていなかった
いままでの生活がいかに平和だったかと思いますが、
私はもっともっといろんな事が知りたいし、
その為に、日々情報収集っていうのが毎日の日課になってしまっています。
今回の大震災でたくさんの人が大好きな土地を離れ、家族と離れ、大切な職を失い
それでも生きていかなきゃいけない現実に、私達はこれからどういう行動をしなきゃ
いけないか。一人一人それぞれの立場で考え、出来る範囲ででも行動しなきゃ
いけないって本気で思っています。
だから私もとてもとても微力ながら、今出来る範囲での事をやっています。
その一つとして、震災から5ヶ月経った日にひっそりと始めたブログがあります。
(本当はもうちょっと違う形でお知らせするつもりでしたが…)
残念ながら放射能はもう避けて通れない状況になっています。
これからの私達に及ぼす健康被害は未知数です。
ほんの少しでも元気に暮らす為の何かの役に立つ情報を
これからは少しずつでも提供していきたいと思っています。
もちろん、私のブログも個人的な意見も多く賛否両論だと思います。
あんまり更新しないのに、いろんなブログばっかり立ち上げて~。って声も中にはありますが
それでもほんの少しでも何かのきっかけになってくれたら幸いです。
ご興味ある方はこちらもご覧ください。
kurumiのLong Life プロジェクト。
2011年07月12日
梅雨明け ~ 震災から4ヶ月 ~
梅雨明けしましたね~。
一昨日には関東が、昨日は東北が例年よりも予想よりもだいぶ早い梅雨明け
早い梅雨明けは嬉しいけど、今年はちょっと暑すぎます
震災から昨日で4ヶ月経ちました。
とりあえず夏を迎えましたが、たいして何も変わらないまま
何となくただ時間だけが流れてる気がします。
原発はまだまだ不安定だし、被災地の復興もほんの一部しか手付かずだし、
政治や電力会社は相変わらず茶番劇繰り返してるだけだし。。
6月から続く猛暑日の中、節電節電って、必要以上に節電を煽るから
熱中症の人は続出だし、本当ならそれすら今まで独占してきた電力会社は
補償してあげなきゃいけないと思うけど、せめて被災地の仮設住宅に入って
お金が無いから節電しなきゃ!ってクーラーもつけないで我慢している人たちへは
東電が本当は電気料金ただにしてあげたって絶対いいと思うけど、
この際まだ2割しか使われていない義援金をそこに使う事だっていいと思います。
これじゃあみんなが一日でも早くって送ったお金が意味をなさない。
一方食品の安全は完全に守られないまま東北関東を中心に日本全国へ
広がっていますね。
先日牛肉からセシウムが検出された汚染肉の一部は検査で流通が止まったようですが
すでに同じ生産者さんの他の汚染肉は東京、神奈川を中心に出荷されもう誰かに
食べられちゃったようです。。 きっと今に始まったことじゃないと思いますが、
これってどうなっちゃうんでしょう。
4ヶ月経った今更検査?ってかなり遅い。
もっと早く生産者の人達にちゃんと補償の意思を見せてあげてれば
こんな事はきっと起きなかったと思います。
野菜から始まり、魚、牛肉とどんどん食品汚染が発覚しています。
私達は本当に何を食べるかよくよく考える必要があるでしょう。
それとできるだけ放射性物質を取り込まない、
また排出することを意識する必要も。
セシウムは半減期が約30年。
微量でもいろんなものから取り込んでしまえば、
少しずつ体内に蓄積されてしまいます。
玄米や味噌、自然塩は放射能対策に効果的といわれています。
長崎の原爆の時にこれらを摂取した人が
原爆症や発ガンのリスクを防いだそうです。(参考)
科学的な根拠はまだしっかり解明されてはいないようですが
放射能に関わらずこれらは体に良いものなので、毎日まではいかなくても
週に何度かはなるべく取り入れることをオススメします。
また野菜は皮を剥く、魚は内臓を取るなど、
下処理をすることでさらに予防ができます。(参考)
全く気にしないという人は別にして、
なるべく自分達で出来る対策をしましょう。
放射能汚染に限らず、普段気軽に食べているものの背景を知ることは
とても大切だと思います。
どこでどんな人がどんな風に、どんな思いで作っているのか。。
もちろんその一環でどういうものを使用して作っているのかもです。
一度普段気軽に食べている身近なものの背景を考えてみるのもいいですね。
さらに昨日は心配なニュースが飛び込んで来ました。
三浦半島断層群の地震発生確率が高まったそうです。
これは横須賀・横浜で最大震度7以上の地震が起こる確率が
30年以内に最大11%になったんだそうです。う~ん。。
近くに活断層があるのは知ってましたが、さすがにちょっと心配ですね。
まあ、地震大国の日本ですからどこでも地震は起こると思うので
なるべく日ごろから危機管理だけはしとかないといけないですね。
震災から4ヶ月たった今、まだまだいろんな不安はぬぐえませんが
それでも私達は前へ進まなきゃいけません。
今の私達にできること、また考えていきましょう。
今週も暑さが続くようです。
どうか皆さん体調管理はくれぐれも気をつけてくださいね☆
kurumiの夏メニューでは密かに放射能対策メニューも登場しています!
そのお知らせはまた次のブログで。。
一昨日には関東が、昨日は東北が例年よりも予想よりもだいぶ早い梅雨明け
早い梅雨明けは嬉しいけど、今年はちょっと暑すぎます
震災から昨日で4ヶ月経ちました。
とりあえず夏を迎えましたが、たいして何も変わらないまま
何となくただ時間だけが流れてる気がします。
原発はまだまだ不安定だし、被災地の復興もほんの一部しか手付かずだし、
政治や電力会社は相変わらず茶番劇繰り返してるだけだし。。
6月から続く猛暑日の中、節電節電って、必要以上に節電を煽るから
熱中症の人は続出だし、本当ならそれすら今まで独占してきた電力会社は
補償してあげなきゃいけないと思うけど、せめて被災地の仮設住宅に入って
お金が無いから節電しなきゃ!ってクーラーもつけないで我慢している人たちへは
東電が本当は電気料金ただにしてあげたって絶対いいと思うけど、
この際まだ2割しか使われていない義援金をそこに使う事だっていいと思います。
これじゃあみんなが一日でも早くって送ったお金が意味をなさない。
一方食品の安全は完全に守られないまま東北関東を中心に日本全国へ
広がっていますね。
先日牛肉からセシウムが検出された汚染肉の一部は検査で流通が止まったようですが
すでに同じ生産者さんの他の汚染肉は東京、神奈川を中心に出荷されもう誰かに
食べられちゃったようです。。 きっと今に始まったことじゃないと思いますが、
これってどうなっちゃうんでしょう。
4ヶ月経った今更検査?ってかなり遅い。
もっと早く生産者の人達にちゃんと補償の意思を見せてあげてれば
こんな事はきっと起きなかったと思います。
野菜から始まり、魚、牛肉とどんどん食品汚染が発覚しています。
私達は本当に何を食べるかよくよく考える必要があるでしょう。
それとできるだけ放射性物質を取り込まない、
また排出することを意識する必要も。
セシウムは半減期が約30年。
微量でもいろんなものから取り込んでしまえば、
少しずつ体内に蓄積されてしまいます。
玄米や味噌、自然塩は放射能対策に効果的といわれています。
長崎の原爆の時にこれらを摂取した人が
原爆症や発ガンのリスクを防いだそうです。(参考)
科学的な根拠はまだしっかり解明されてはいないようですが
放射能に関わらずこれらは体に良いものなので、毎日まではいかなくても
週に何度かはなるべく取り入れることをオススメします。
また野菜は皮を剥く、魚は内臓を取るなど、
下処理をすることでさらに予防ができます。(参考)
全く気にしないという人は別にして、
なるべく自分達で出来る対策をしましょう。
放射能汚染に限らず、普段気軽に食べているものの背景を知ることは
とても大切だと思います。
どこでどんな人がどんな風に、どんな思いで作っているのか。。
もちろんその一環でどういうものを使用して作っているのかもです。
一度普段気軽に食べている身近なものの背景を考えてみるのもいいですね。
さらに昨日は心配なニュースが飛び込んで来ました。
三浦半島断層群の地震発生確率が高まったそうです。
これは横須賀・横浜で最大震度7以上の地震が起こる確率が
30年以内に最大11%になったんだそうです。う~ん。。
近くに活断層があるのは知ってましたが、さすがにちょっと心配ですね。
まあ、地震大国の日本ですからどこでも地震は起こると思うので
なるべく日ごろから危機管理だけはしとかないといけないですね。
震災から4ヶ月たった今、まだまだいろんな不安はぬぐえませんが
それでも私達は前へ進まなきゃいけません。
今の私達にできること、また考えていきましょう。
今週も暑さが続くようです。
どうか皆さん体調管理はくれぐれも気をつけてくださいね☆
kurumiの夏メニューでは密かに放射能対策メニューも登場しています!
そのお知らせはまた次のブログで。。
2011年05月29日
今思うこと ~ 追記 ~
今、思うことの追記です。
このブログを読んでくれている人たちが、全部でどのくらいいるのか、
どんな人がいるのか正直わかりません。
もちろん、日々のアクセス数や直接メッセージ等頂いたりもするので
ほんの少しは把握しているつもりですが、見えない世界です。。
(いつもご覧いただき、メッセージをくださっている方々ありがとうございます!!)
今回、実際にボランティア活動をしたことなどを書いたので、
もしかしたら自分も!と思って若い人がこれから夏休みなど利用して
行かれようと計画してたりもするかもしれませんが、
若い人には今現在はおススメしません!
特に10代、20代の学生さん達。
もちろん、被災地ではまだまだ手が足りない状況です。
ボランティアもたくさん継続的に必要です。
でも、これから夏にかけては風向きが南風に変わっていくそうです。
すでにもう始まっていたりもします。
今までは比較的太平洋側に風向きが流れていたので、
放射能も海側へ向かっていたのがこれから南風に乗って
東北内陸部に向かう可能性が大きいといわれています。
まだまだ毎日放射能は出続けています。
もちろん風向きによってはさらに関東にだって影響します。
どうか若い人たち、40歳未満、せめて30歳未満の人たちは
本当に原発が安定して、本当の意味で復興に向かった時に
必要に応じて活動して貰ったらいいと思います。
特に女性は。じゃないと今はリスクが高すぎるので。。
それ以外にもきっと出来る事があると思います。
それでも行く場合は、どうか万全の対策で!!
できるだけ団体行動で。
まだまだ現地では余震も続いていて、関東でもここ数日
余震なのか地震なのかよくわかりませんが、また起きています。
一昨日辺り震源地がこの辺の時もありました。
いろんな意味で本当にまだまだ不安定です。
多分、そんなに若い人たちはこのブログを見てないと思うのですが
念の為記載させて頂きました。
本当は無意味に会議や被災地視察とかしている政治家さん達に、
どんどんボランティア活動してもらいたいです。
特に原発をこれからも継続して更に推進させていこうとしている
ご年配の彼らには進んで福島のボランティア活動をしてもらいたいです。
そこでどれだけ大変な事が起きているのかをもっと実感してほしい。。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!
現場で起きてるんだ!!」
って私の好きな青島刑事も前から言ってます。
このブログを読んでくれている人たちが、全部でどのくらいいるのか、
どんな人がいるのか正直わかりません。
もちろん、日々のアクセス数や直接メッセージ等頂いたりもするので
ほんの少しは把握しているつもりですが、見えない世界です。。
(いつもご覧いただき、メッセージをくださっている方々ありがとうございます!!)
今回、実際にボランティア活動をしたことなどを書いたので、
もしかしたら自分も!と思って若い人がこれから夏休みなど利用して
行かれようと計画してたりもするかもしれませんが、
若い人には今現在はおススメしません!
特に10代、20代の学生さん達。
もちろん、被災地ではまだまだ手が足りない状況です。
ボランティアもたくさん継続的に必要です。
でも、これから夏にかけては風向きが南風に変わっていくそうです。
すでにもう始まっていたりもします。
今までは比較的太平洋側に風向きが流れていたので、
放射能も海側へ向かっていたのがこれから南風に乗って
東北内陸部に向かう可能性が大きいといわれています。
まだまだ毎日放射能は出続けています。
もちろん風向きによってはさらに関東にだって影響します。
どうか若い人たち、40歳未満、せめて30歳未満の人たちは
本当に原発が安定して、本当の意味で復興に向かった時に
必要に応じて活動して貰ったらいいと思います。
特に女性は。じゃないと今はリスクが高すぎるので。。
それ以外にもきっと出来る事があると思います。
それでも行く場合は、どうか万全の対策で!!
できるだけ団体行動で。
まだまだ現地では余震も続いていて、関東でもここ数日
余震なのか地震なのかよくわかりませんが、また起きています。
一昨日辺り震源地がこの辺の時もありました。
いろんな意味で本当にまだまだ不安定です。
多分、そんなに若い人たちはこのブログを見てないと思うのですが
念の為記載させて頂きました。
本当は無意味に会議や被災地視察とかしている政治家さん達に、
どんどんボランティア活動してもらいたいです。
特に原発をこれからも継続して更に推進させていこうとしている
ご年配の彼らには進んで福島のボランティア活動をしてもらいたいです。
そこでどれだけ大変な事が起きているのかをもっと実感してほしい。。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!
現場で起きてるんだ!!」
って私の好きな青島刑事も前から言ってます。
2011年05月29日
マイ箸づくり ~プチエコ。手づくりのもの~
マイ箸づくりを先日体験しました。
毎日毎日使うお箸。ごはんのお供。
最近は外出時にマイ箸を持っていく人も増えていると思います。
私も毎日持ち歩くまでは行ってませんが、例えば外のイベント関係の時とかは
マイ箸、マイカップ、マイ食器などを持参して楽しんでします♪
でも手づくりの自分だけのオリジナル箸があったら、尚いいですよね。
こちらはマイ箸の作り方。
使う素材は厳選素材。私が選んだのは杉材。
箸作り専用のとっても計算されて作られたこの道具。
めちゃめちゃ優れものです。
作り方はいたって簡単。
すでに箸用に加工された木材を、自分の手の長さに合わせて採寸して
切り落とし、それをこの道具に入れて、順番通りにカンナで削っていくだけ。
最初はただ細長いだけの長方形の木材を、道具に入れてシュッ、シュッ、シュッと削っていくと、
なんとまあ、とっても微妙な加減の勾配があって自然と箸の形になっていくんです。
しかもこの道具、裏に返すとさらにまたちょっと違った微妙な勾配があって
順番通りにシュッシュッシュとするだけで、あ~ら不思議。
お箸が出来ちゃった♪
って、この道具がめっちゃ欲しかった。
でも道具は非売品だそう。
仕上げは、先端部分をペーパーをかけてあげて先の尖がりを丸めたり
全体の角の部分を持ちやすいよう削ってあげればOK!
余計な事を忘れてちょっと無になって集中できる感じは、なかなかいいですね。
仕上がりはこんな感じ。。
実はまだもったいなくて使ってないけど。。
このマイ箸作りは、毎月第一日曜日に行われているエコモノ市で体験できるので
ご興味ある方は是非どうぞ♪
残念ながら6月のエコモノ市はkurumi号はお休みですが、お近くの方は是非
足を運んでみてくださいね◎
ちなみに、kurumi号ではマイカップやマイスプーンなどご持参頂ければ
少しですが割引させて頂いております。
仲間のhonobono号もマイカップ割引があるので、是非ご利用ください♪
そうそう、プチエコといえば今夜もやります。
NHKスペシャル「ホットスポット~最後の楽園~」
最近は違う意味でのホットスポットが注目を浴びていますが
今夜は「東アフリカ」の古代湖に住むお魚の話。
生命の神秘ですね。
夜9時からなので、お見逃し無く!!
毎日毎日使うお箸。ごはんのお供。
最近は外出時にマイ箸を持っていく人も増えていると思います。
私も毎日持ち歩くまでは行ってませんが、例えば外のイベント関係の時とかは
マイ箸、マイカップ、マイ食器などを持参して楽しんでします♪
でも手づくりの自分だけのオリジナル箸があったら、尚いいですよね。
こちらはマイ箸の作り方。
使う素材は厳選素材。私が選んだのは杉材。
箸作り専用のとっても計算されて作られたこの道具。
めちゃめちゃ優れものです。
作り方はいたって簡単。
すでに箸用に加工された木材を、自分の手の長さに合わせて採寸して
切り落とし、それをこの道具に入れて、順番通りにカンナで削っていくだけ。
最初はただ細長いだけの長方形の木材を、道具に入れてシュッ、シュッ、シュッと削っていくと、
なんとまあ、とっても微妙な加減の勾配があって自然と箸の形になっていくんです。
しかもこの道具、裏に返すとさらにまたちょっと違った微妙な勾配があって
順番通りにシュッシュッシュとするだけで、あ~ら不思議。
お箸が出来ちゃった♪
って、この道具がめっちゃ欲しかった。
でも道具は非売品だそう。
仕上げは、先端部分をペーパーをかけてあげて先の尖がりを丸めたり
全体の角の部分を持ちやすいよう削ってあげればOK!
余計な事を忘れてちょっと無になって集中できる感じは、なかなかいいですね。
仕上がりはこんな感じ。。
実はまだもったいなくて使ってないけど。。
このマイ箸作りは、毎月第一日曜日に行われているエコモノ市で体験できるので
ご興味ある方は是非どうぞ♪
残念ながら6月のエコモノ市はkurumi号はお休みですが、お近くの方は是非
足を運んでみてくださいね◎
ちなみに、kurumi号ではマイカップやマイスプーンなどご持参頂ければ
少しですが割引させて頂いております。
仲間のhonobono号もマイカップ割引があるので、是非ご利用ください♪
そうそう、プチエコといえば今夜もやります。
NHKスペシャル「ホットスポット~最後の楽園~」
最近は違う意味でのホットスポットが注目を浴びていますが
今夜は「東アフリカ」の古代湖に住むお魚の話。
生命の神秘ですね。
夜9時からなので、お見逃し無く!!
2011年05月24日
今思うこと… ~ 震災から2ヶ月④ ~
今、思うこと…。
3月11日の震災直後、やっと何が起きたのかわかった時、
すぐに原発の問題が気になりました。
以前から反原発を唱えていた知人のブログにアクセスし、
現状で何が起きているのかがわかるソースを知ることも出来ました。
それからずっといろんな情報を調べていました。
3月15日、この日はケータリングで早朝から都内へ仕事へ行くことになっており
余震も続く中不安もありながらいつものように最寄の高速道路入り口へ向かうと、
計画停電の影響もあり近くの交差点に警察官がいました。
その隣に普通じゃないマスクをした真っ白な防護服を来た人が立っていました。
見たのは一瞬でしたが、放射能が来てると直感しました。
仕事を終えてとても胸騒ぎがして、親しい友人、知人達に
外出時気をつけるようにメールしました。
家に帰ってすぐにテレビを点けたらちょうど「横須賀で放射能が観測された」
というニュースが流れていたところでした。やっぱりそうかと思いました。
あの日、一番放射線量が高く、関東もチェルノブイリの時に日本で観測された1000倍の
放射線量が観測された事が、後からわかりました。
その日の東京の1時間あたりの空気中のガンマー線量は2マイクロシーベルト、
これは外部被爆に値しますが、吸入した場合の内部被爆に関しては
20マイクロシーベルトだったそうです。外部被曝の10倍。
思ったよりも衝撃的な事実です。
あの時、同じように危険を感じてマスクや帽子などで出来る限り防御してくれた人、
できるだけ外出を控えた人、気にしすぎじゃないかと思った人、いろいろあったと思います。
このブログでも原発に関することをその日のうちに取り上げました。
東電や政府の過去の隠蔽体質や内部被爆の危険性、少しでも早く正確な情報を開示して
避難勧告を出すようにと切実に書いたところ、それを見て心が病んだという人がいたので
それでは本末転倒と思い、後で削除しました。
でも結局、やっぱり大切な情報がその時点でわかっていたのに隠蔽されて、
特に現地の原発近くの人は一番危険が大きい時にちゃんと避難、防御できず
人災に巻き込まれてしまいました。
後から「やっぱりこうでした。」というのが2ヶ月経った今でも出続ける状態。
しかもその内容はどんどん深刻な情報になっています。
そして言われる言葉は「あの時にすでに起きていたので今更騒ぐことではありません」
的な発言。それが本当に国がするリスクヘッジなのでしょうか?
確かに一時のパニックはほんの少しだけ避けれたのかもしれません。
でもその引き換えに多くの人が未来の危険なリスクを背負わされてしまいました。
本当はもっと早く正確なデータが出ていれば避けられたリスクがあったと思います。
これはただちに影響が出るわけでは無いので、これから数年、数十年経ったら
また明らかになってくるんだろうと思います。
その時、今の政治家さんたちはどの位残っているのでしょうね。
あの時はあの人が・・・っていう感じにだけはなって欲しくないですね。
昨日、NHKで衆議院の国会中継が流れていましたが、一方ネットでは同じ時間に
参議院の国会中継が流れていました。テレビの中継は誰が何を言った言わないなど、
いまさらそんなことどうでもいいような、相変わらずの揚げ足取り国会。
一方ネットでは京都大学の小出先生や元東芝のプラント設計者後藤政志さん
(ちなみに私は震災以来ずっとこの人の話を聞いてました)
もう一企業の経営者の域を超えた気がしているソフトバンクの孫さん、
そして神戸大学の石橋教授。
震災当初から現状起きている可能性がある危険性やどうしたら少しでも回避できるのかを
真剣に考え続けていた人たち。2ヶ月たってようやく少しずつテレビなどにも出ることが
出来るようになり、また今回このような形で国会で発言をする機会が与えられました。
本来はこっちの議会をテレビで流した方がいい程、重要な内容だったと私は思います。
これがテレビとネットの現状です。ネットはさまざまな情報がありすぎるくらいあります。
その中には間違っている情報も決して少なくは無いとも思います。
しかしテレビや他のメディアではいろいろな都合で取り上げられないような真実を
伝えられるのもネットです。私は今回ほどインターネットの必要性を感じたことはないし
これからももっと情報というのは必要になってくると思います。
昨日も先日気になることがあり注意のメールをした私の親友から連絡があり
逆に「大丈夫?」って聞かれました。私が震災ショックでちょっと思いつめているのでは
ないかと思って心配してくれたようですが、彼女の「起きてしまったことは仕方ない。
出来ることは避けているけど、どうしようもない。それよりあんたが思いつめてる
んじゃないかと心配になった」と言われて、とても切なくなり思わずこちらが涙。
「そうじゃない、私があなたやあなたの子供をを心配してるんだ」と意見を交わしあいました。
それほど真剣に思っているのかと、彼女は理解してくれました。
この前も書いたと思いますが、今はほとんど震災前と変わらないような
生活になってきています。でも本当はもっともっと事態は深刻です。
今はようやく少しずつデータが開示されるようになってきたものの、
まだまだ内容は不十分。毎日の放射線量は一時より少なくなってきている
気もしますが風向きによっても違います。実際は地表よりはるか高い場所で
計測されたものだったり、あくまでも外部被曝のガンマー線だけのものが発表され、
他の放射線に関しては本当の危険性は不透明。
いつの間にやら震災直後から人も水や農産物、海産物などの食品の暫定基準値も
緊急措置してと一気に引き上げられ、福島の子供達は大人と変わらない
20ミリシーベルトまでを許容されてる状態。
野菜はよく洗われ、魚は頭や骨が綺麗に取り除かれた上に
よく洗った状態のものしか放射能の検査が行われず、
検査を拒否する地域があったり、風評被害を防ぐ為に学校給食に使ったり。。
こんなんで、私達は何を信じればいいのでしょう?
私はこれが国民の安全を本当に考えている対応だとは思えません。
出来る限り賠償金を減らしたいだけに思えてなりません。
本当の意味での風評被害やパニックを防ぐなら、
どこでどれをどういう状態にしたものをどういう状況で計測したのか、
きちんとみんなにわかりやすく、正確に迅速に公表することで、
私達は自分達で防げることがあるし、どうすべきか判断できます。
今は、個人で放射線測量機を持っている人たちがネットで配信してたりします。
でも食品などに関する正確なものを個人で量るにはそれなりの機械が必要なので、
簡単に私達にはできません。
私も自分でつくった物を捨てなきゃいけないのが一番辛いので
生産者の皆さんの気持ちは痛いほどわかりますが、
今は単なる風評被害とは言えない状態だと思います。
先日も福島の親族からできれば福島の野菜を使って美味しい料理を作って
安全だとPRして欲しいと言われましたが、
残念だけど今はそれは出来ないと言いました。
できれば、安価で出荷するよりも一日も早く東電に賠償してもらった方が
絶対にいいと個人的には思います。
先日神奈川の茶葉から高濃度の放射能が検出されたことで
神奈川の食品もついにEUの輸入規制対象に入ってしまいました。
私の住む三浦半島は農産物、海産物がとても豊かなところです。
新鮮な野菜、魚介類がいつでも食べられます。
昨年は天候不順の関係もあり野菜もかなり高騰していましたが、
現状ではこの辺の野菜もすでに葉物野菜を中心に価格破壊が起きています。
また特にこの辺の人は環境問題に関心の高い人も多く、すでに西へ南へ海外へ
避難、引越しされた方も多くいます。でもそれをやりすぎだとは思いません。
直接の被災地の方からしたら、「何なんだ!」ってちょっと腹立たしく思われて
しまうかもしれませんが、それくらい人によっては危機感を持っています。
これが現状です。
私はずっと何が出来るのか考えてきました。
でも政治が変わらない限り、この問題は解決されないことに気づきました。
ただ、政治を変えるのはやっぱり国民一人一人の力です。
昨日の福島のお母さん達が文科省に立ち向かいに行ったああいう一人一人の
行動が大切で、それをもっともっとメディアが取り上げる事で、
きっと変わっていく未来があると思います。
また政治家さんはみんな同じだと思っていましたが、こうやって
きちんと取り上げてくれる人たちがいることに少し安堵しました。
もちろん、取り上げるだけでなくどこまで実践してくれるか
これからが問題ですがそれでも嬉しい前進です。
私達が出来ることは、まずは知ることから始まります。
もちろん、どんな情報を、誰を何を信じるか、信じないかは自分達の自由です。
その中でこのブログが、誰かの何かの一つの役にになってくれたら幸いです。
是非、見てもらいたい昨日の参議院中継。
こちらのUstreamで配信されていますので、是非ご覧ください!!
「参議院 脱原発への道 1/2」http://www.ustream.tv/recorded/14906087
「参議院 脱原発への道 2/2」http://www.ustream.tv/recorded/14907869
時間は3時間ちょっとです。長いですがとても内容の濃いものです。
また、NHKで先日再放送された「ネットワークでつくる放射能汚染地図」も
NHK(教育)28日(土)15:00~さらに再放送されるので、
こちらも是非お見逃し無く!!
私は環境活動家ではありません。単なる街のスープ屋です。
今、私が出来ることは地元の野菜でもよくよく洗って使うことと、
自分が信じる情報を発信することしかありません。
長々とご覧頂きありがとうございました。m(_ _)m
3月11日の震災直後、やっと何が起きたのかわかった時、
すぐに原発の問題が気になりました。
以前から反原発を唱えていた知人のブログにアクセスし、
現状で何が起きているのかがわかるソースを知ることも出来ました。
それからずっといろんな情報を調べていました。
3月15日、この日はケータリングで早朝から都内へ仕事へ行くことになっており
余震も続く中不安もありながらいつものように最寄の高速道路入り口へ向かうと、
計画停電の影響もあり近くの交差点に警察官がいました。
その隣に普通じゃないマスクをした真っ白な防護服を来た人が立っていました。
見たのは一瞬でしたが、放射能が来てると直感しました。
仕事を終えてとても胸騒ぎがして、親しい友人、知人達に
外出時気をつけるようにメールしました。
家に帰ってすぐにテレビを点けたらちょうど「横須賀で放射能が観測された」
というニュースが流れていたところでした。やっぱりそうかと思いました。
あの日、一番放射線量が高く、関東もチェルノブイリの時に日本で観測された1000倍の
放射線量が観測された事が、後からわかりました。
その日の東京の1時間あたりの空気中のガンマー線量は2マイクロシーベルト、
これは外部被爆に値しますが、吸入した場合の内部被爆に関しては
20マイクロシーベルトだったそうです。外部被曝の10倍。
思ったよりも衝撃的な事実です。
あの時、同じように危険を感じてマスクや帽子などで出来る限り防御してくれた人、
できるだけ外出を控えた人、気にしすぎじゃないかと思った人、いろいろあったと思います。
このブログでも原発に関することをその日のうちに取り上げました。
東電や政府の過去の隠蔽体質や内部被爆の危険性、少しでも早く正確な情報を開示して
避難勧告を出すようにと切実に書いたところ、それを見て心が病んだという人がいたので
それでは本末転倒と思い、後で削除しました。
でも結局、やっぱり大切な情報がその時点でわかっていたのに隠蔽されて、
特に現地の原発近くの人は一番危険が大きい時にちゃんと避難、防御できず
人災に巻き込まれてしまいました。
後から「やっぱりこうでした。」というのが2ヶ月経った今でも出続ける状態。
しかもその内容はどんどん深刻な情報になっています。
そして言われる言葉は「あの時にすでに起きていたので今更騒ぐことではありません」
的な発言。それが本当に国がするリスクヘッジなのでしょうか?
確かに一時のパニックはほんの少しだけ避けれたのかもしれません。
でもその引き換えに多くの人が未来の危険なリスクを背負わされてしまいました。
本当はもっと早く正確なデータが出ていれば避けられたリスクがあったと思います。
これはただちに影響が出るわけでは無いので、これから数年、数十年経ったら
また明らかになってくるんだろうと思います。
その時、今の政治家さんたちはどの位残っているのでしょうね。
あの時はあの人が・・・っていう感じにだけはなって欲しくないですね。
昨日、NHKで衆議院の国会中継が流れていましたが、一方ネットでは同じ時間に
参議院の国会中継が流れていました。テレビの中継は誰が何を言った言わないなど、
いまさらそんなことどうでもいいような、相変わらずの揚げ足取り国会。
一方ネットでは京都大学の小出先生や元東芝のプラント設計者後藤政志さん
(ちなみに私は震災以来ずっとこの人の話を聞いてました)
もう一企業の経営者の域を超えた気がしているソフトバンクの孫さん、
そして神戸大学の石橋教授。
震災当初から現状起きている可能性がある危険性やどうしたら少しでも回避できるのかを
真剣に考え続けていた人たち。2ヶ月たってようやく少しずつテレビなどにも出ることが
出来るようになり、また今回このような形で国会で発言をする機会が与えられました。
本来はこっちの議会をテレビで流した方がいい程、重要な内容だったと私は思います。
これがテレビとネットの現状です。ネットはさまざまな情報がありすぎるくらいあります。
その中には間違っている情報も決して少なくは無いとも思います。
しかしテレビや他のメディアではいろいろな都合で取り上げられないような真実を
伝えられるのもネットです。私は今回ほどインターネットの必要性を感じたことはないし
これからももっと情報というのは必要になってくると思います。
昨日も先日気になることがあり注意のメールをした私の親友から連絡があり
逆に「大丈夫?」って聞かれました。私が震災ショックでちょっと思いつめているのでは
ないかと思って心配してくれたようですが、彼女の「起きてしまったことは仕方ない。
出来ることは避けているけど、どうしようもない。それよりあんたが思いつめてる
んじゃないかと心配になった」と言われて、とても切なくなり思わずこちらが涙。
「そうじゃない、私があなたやあなたの子供をを心配してるんだ」と意見を交わしあいました。
それほど真剣に思っているのかと、彼女は理解してくれました。
この前も書いたと思いますが、今はほとんど震災前と変わらないような
生活になってきています。でも本当はもっともっと事態は深刻です。
今はようやく少しずつデータが開示されるようになってきたものの、
まだまだ内容は不十分。毎日の放射線量は一時より少なくなってきている
気もしますが風向きによっても違います。実際は地表よりはるか高い場所で
計測されたものだったり、あくまでも外部被曝のガンマー線だけのものが発表され、
他の放射線に関しては本当の危険性は不透明。
いつの間にやら震災直後から人も水や農産物、海産物などの食品の暫定基準値も
緊急措置してと一気に引き上げられ、福島の子供達は大人と変わらない
20ミリシーベルトまでを許容されてる状態。
野菜はよく洗われ、魚は頭や骨が綺麗に取り除かれた上に
よく洗った状態のものしか放射能の検査が行われず、
検査を拒否する地域があったり、風評被害を防ぐ為に学校給食に使ったり。。
こんなんで、私達は何を信じればいいのでしょう?
私はこれが国民の安全を本当に考えている対応だとは思えません。
出来る限り賠償金を減らしたいだけに思えてなりません。
本当の意味での風評被害やパニックを防ぐなら、
どこでどれをどういう状態にしたものをどういう状況で計測したのか、
きちんとみんなにわかりやすく、正確に迅速に公表することで、
私達は自分達で防げることがあるし、どうすべきか判断できます。
今は、個人で放射線測量機を持っている人たちがネットで配信してたりします。
でも食品などに関する正確なものを個人で量るにはそれなりの機械が必要なので、
簡単に私達にはできません。
私も自分でつくった物を捨てなきゃいけないのが一番辛いので
生産者の皆さんの気持ちは痛いほどわかりますが、
今は単なる風評被害とは言えない状態だと思います。
先日も福島の親族からできれば福島の野菜を使って美味しい料理を作って
安全だとPRして欲しいと言われましたが、
残念だけど今はそれは出来ないと言いました。
できれば、安価で出荷するよりも一日も早く東電に賠償してもらった方が
絶対にいいと個人的には思います。
先日神奈川の茶葉から高濃度の放射能が検出されたことで
神奈川の食品もついにEUの輸入規制対象に入ってしまいました。
私の住む三浦半島は農産物、海産物がとても豊かなところです。
新鮮な野菜、魚介類がいつでも食べられます。
昨年は天候不順の関係もあり野菜もかなり高騰していましたが、
現状ではこの辺の野菜もすでに葉物野菜を中心に価格破壊が起きています。
また特にこの辺の人は環境問題に関心の高い人も多く、すでに西へ南へ海外へ
避難、引越しされた方も多くいます。でもそれをやりすぎだとは思いません。
直接の被災地の方からしたら、「何なんだ!」ってちょっと腹立たしく思われて
しまうかもしれませんが、それくらい人によっては危機感を持っています。
これが現状です。
私はずっと何が出来るのか考えてきました。
でも政治が変わらない限り、この問題は解決されないことに気づきました。
ただ、政治を変えるのはやっぱり国民一人一人の力です。
昨日の福島のお母さん達が文科省に立ち向かいに行ったああいう一人一人の
行動が大切で、それをもっともっとメディアが取り上げる事で、
きっと変わっていく未来があると思います。
また政治家さんはみんな同じだと思っていましたが、こうやって
きちんと取り上げてくれる人たちがいることに少し安堵しました。
もちろん、取り上げるだけでなくどこまで実践してくれるか
これからが問題ですがそれでも嬉しい前進です。
私達が出来ることは、まずは知ることから始まります。
もちろん、どんな情報を、誰を何を信じるか、信じないかは自分達の自由です。
その中でこのブログが、誰かの何かの一つの役にになってくれたら幸いです。
是非、見てもらいたい昨日の参議院中継。
こちらのUstreamで配信されていますので、是非ご覧ください!!
「参議院 脱原発への道 1/2」http://www.ustream.tv/recorded/14906087
「参議院 脱原発への道 2/2」http://www.ustream.tv/recorded/14907869
時間は3時間ちょっとです。長いですがとても内容の濃いものです。
また、NHKで先日再放送された「ネットワークでつくる放射能汚染地図」も
NHK(教育)28日(土)15:00~さらに再放送されるので、
こちらも是非お見逃し無く!!
私は環境活動家ではありません。単なる街のスープ屋です。
今、私が出来ることは地元の野菜でもよくよく洗って使うことと、
自分が信じる情報を発信することしかありません。
長々とご覧頂きありがとうございました。m(_ _)m
2011年05月19日
現地では・・・ ~ 震災から2ヶ月③ ~
現地では、ボランティア活動は朝から始まり、センターに戻る時間は
夕方4時までが厳守されていました。
私が訪れた場所は2日間ともセンターから30分ほどの距離。
一応一番遠くてもこの位の範囲ということでした。
実質の作業時間は15時頃まで。
それから片付けて2日目は16時直前に着きました。
センターに戻り、業務内容の報告や家主様からの継続依頼情報などをつげて
私の二日間のボランティア活動は終わりました。
本当はこの日も夜親族と一緒に過ごす予定をしていましたが、
実はどうしてもいるなら逢っておきたい人がいて、
2日目の朝に連絡を取り、夜に会うことになりました。
相変わらずの突撃訪問です。
その子は以前の勤め先の一つである不動産会社の年下だけど当時は先輩。
今は仲間として年に1度は飲みに行く、10年来のお付き合いある子です。
福島県出身で、現在は横浜に在住しているのですが出産の関係で震災直後に
福島へ帰ることになっていました。
ただでさえ、当時はまだ大きな余震も続いておりましてや原発の問題もあり
どうにか帰らずにすむわけはいかないのか?と言っていたのですが
横浜での病院を探すのも難しく、またすでに一人小さな子を抱えているので
道路状況とか交通手段がクリアできれば帰ることになると言っていました。
私としては、なんとか行ってもらいたくはなかったけれど私が決めれる事では
ないし、あまり言い過ぎても妊婦さんを不安にさせてしまうので、
「帰るなら出来るだけマスクの着用と海藻類を食べるように」
ということ位しか言えませんでした。
少し前に無事に出産したという連絡はあったけど、まだ帰って来たという報告は
聞いていなかったので、きっとまだいるんだろうなと思っていました。
彼女がいるのは福島県北西部。原発からは少し離れているものの、
風向きの状態で放射線量も比較的高く、とても心配していました。
現地の彼女の友人は帰る前から「絶対に帰ってくるな!」と言っており
帰って来たのを知ると「なんで帰って来たんだ!!」とすごい怒ったそうです。
もちろん、彼女の事を思っての事です。いろいろ協力もしてくれているそうです。
正直私は福島県に行ったのは子供の頃以来なので、全く土地勘がありません。
その子に住所を聞いていわきから30分位なのかな?と思っていましたが
高速に乗っても夕方の渋滞もあり家までは2時間くらいかかりました。
途中の高速道路では全く車通りのない状況も続いていました。
最近はだいぶ日も長くなった気がしていましたが、雨だったこともあり
暗い山の中を走るのはなんとも言えない不安感もありました。
それでも愛用の携帯カーナビのお陰で、無事に現地までたどり着け
生まれたての赤ちゃんと、嵐が大好きなチビちゃんにも逢う事ができました。
「抱っこして~」とちょっと顔みせに来たものの、その後はすぐに居間へ戻る。
その時間、ちょうど嵐の番組をやっていて2歳児の男の子なのに嵐に釘付け。
「ごめんね~、この子嵐が大好きで…。」とお母さんとご両親。
普段も何度も何度も録画した嵐の番組を見せろとせまるそうです。
私も「嵐なら仕方ないですよ。(笑)」と思わず言ってしまう。
それにしてもこんな小さな子供すら虜にしてしまう嵐ってすごいですね~。
っと、話がそれましたが、その日の作業で結構埃まみれになってしまっていたので、
本当はお風呂にでも入ってから行きたっかのですが、軽く着替える位しか
時間もなかったので、赤ちゃんが寝ていたこともあって、顔を見るくらいにしておきました。
とってもかわいい赤ちゃんでした。チビちゃんも元気いっぱいでほっとしました。
でも、現状は外に遊びにも出せないし、お母さん自体もなかなか外に出れない状況。
検診の関係もあって、まだすぐに帰る事もできず不安な日々を過ごしている現状。
近くにあるデニーズで二人でご飯を食べて、ほんの少しでも気晴らしになってくれた
事が唯一の救いでしたが、出来ればそのまま連れて帰ってきたかった。。
今、福島のお母さん達は本当に大変な思いをしていると思います。
子供達のことを考えたら少しでも早く非難することが望ましいけれど、そうしたいと
思ってもそれぞれの色々な事情や都合でそんな簡単に出来ないこともよくわかります。
今、避難するといっても自主避難するしかなく、負担も大きいです。
もちろん、福島だけに限らず今では首都圏のお母さんたちもたくさんの不安を抱えて
いると思います。いろんな情報が錯綜する中、「これくらいなら大丈夫だ!安全だ!」
という安全論者たち。一方、「これくらいでも危険だから注意するように!」という
間逆の人たち。「一体どっちを信じればいいの?!どうしたらいいの??」って
そんな気持ちでいっぱいだと思います。
忙しいお母さん達は、私みたいに暇さえあれば情報収集しているわけにもいかず
テレビの情報を見ることで手一杯の人もいると思います。
ようやくこの辺のテレビからは無表情にただただ「安全」を連呼するような
御用学者がほとんどいなくなり、震災直後から危険性を訴えていた、
私の信頼する人たちがテレビに少しずつ出れるようになり
ほんの少し安心はしていますが、まだまだメディア規制は続いています。
大手メディアの最大のスポンサーは電力会社です。
県が雇っている安心アドバイザーの話を信じてしまう人もいると思います。
もちろん、人間の心理として出来る限りの安心を求める方が気が楽になると思いますが
出来る限り情報を集め、共有していくことが大事だと思います。
今、ネットではお母さん達のネットワークがいろいろと出来ています。
全国のお母さんが同じように胸を痛めています。
同じような環境で、同じような苦しみを抱えている人たちは
その悩みを共有することができます。
そしてその解決策を考えていくこともみんなで繋がれば可能だと思います。
どうか一人で抱え込まず、身近な人たちとでも、そうでなくても、
是非繋がってくださいね。
私は結婚もしてないし、子供もいないので出来る限り情報提供することでしか
協力できませんが、
ほんの少しでも何か役立つ情報提供ができればいいなと思っています。
少しでも情報を知りたい方は下記にお母さんたちが自分たちで勉強し
作ったサイトがあるので、ご覧ください。
福島のお母さんへの手紙 ~京都のお母さんたちより~
http://kajipito.net/img/mama-mail_front.jpg
柏ママの放射線だより
http://members3.jcom.home.ne.jp/2143800701/#kashiwa
ツイッター
save fukushima
http://twilog.org/savefukushimaa
~追記~
昨日、NHKで放送された「チェルノブイリ医師の思い」まとめ
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/100/82400.html
夕方4時までが厳守されていました。
私が訪れた場所は2日間ともセンターから30分ほどの距離。
一応一番遠くてもこの位の範囲ということでした。
実質の作業時間は15時頃まで。
それから片付けて2日目は16時直前に着きました。
センターに戻り、業務内容の報告や家主様からの継続依頼情報などをつげて
私の二日間のボランティア活動は終わりました。
本当はこの日も夜親族と一緒に過ごす予定をしていましたが、
実はどうしてもいるなら逢っておきたい人がいて、
2日目の朝に連絡を取り、夜に会うことになりました。
相変わらずの突撃訪問です。
その子は以前の勤め先の一つである不動産会社の年下だけど当時は先輩。
今は仲間として年に1度は飲みに行く、10年来のお付き合いある子です。
福島県出身で、現在は横浜に在住しているのですが出産の関係で震災直後に
福島へ帰ることになっていました。
ただでさえ、当時はまだ大きな余震も続いておりましてや原発の問題もあり
どうにか帰らずにすむわけはいかないのか?と言っていたのですが
横浜での病院を探すのも難しく、またすでに一人小さな子を抱えているので
道路状況とか交通手段がクリアできれば帰ることになると言っていました。
私としては、なんとか行ってもらいたくはなかったけれど私が決めれる事では
ないし、あまり言い過ぎても妊婦さんを不安にさせてしまうので、
「帰るなら出来るだけマスクの着用と海藻類を食べるように」
ということ位しか言えませんでした。
少し前に無事に出産したという連絡はあったけど、まだ帰って来たという報告は
聞いていなかったので、きっとまだいるんだろうなと思っていました。
彼女がいるのは福島県北西部。原発からは少し離れているものの、
風向きの状態で放射線量も比較的高く、とても心配していました。
現地の彼女の友人は帰る前から「絶対に帰ってくるな!」と言っており
帰って来たのを知ると「なんで帰って来たんだ!!」とすごい怒ったそうです。
もちろん、彼女の事を思っての事です。いろいろ協力もしてくれているそうです。
正直私は福島県に行ったのは子供の頃以来なので、全く土地勘がありません。
その子に住所を聞いていわきから30分位なのかな?と思っていましたが
高速に乗っても夕方の渋滞もあり家までは2時間くらいかかりました。
途中の高速道路では全く車通りのない状況も続いていました。
最近はだいぶ日も長くなった気がしていましたが、雨だったこともあり
暗い山の中を走るのはなんとも言えない不安感もありました。
それでも愛用の携帯カーナビのお陰で、無事に現地までたどり着け
生まれたての赤ちゃんと、嵐が大好きなチビちゃんにも逢う事ができました。
「抱っこして~」とちょっと顔みせに来たものの、その後はすぐに居間へ戻る。
その時間、ちょうど嵐の番組をやっていて2歳児の男の子なのに嵐に釘付け。
「ごめんね~、この子嵐が大好きで…。」とお母さんとご両親。
普段も何度も何度も録画した嵐の番組を見せろとせまるそうです。
私も「嵐なら仕方ないですよ。(笑)」と思わず言ってしまう。
それにしてもこんな小さな子供すら虜にしてしまう嵐ってすごいですね~。
っと、話がそれましたが、その日の作業で結構埃まみれになってしまっていたので、
本当はお風呂にでも入ってから行きたっかのですが、軽く着替える位しか
時間もなかったので、赤ちゃんが寝ていたこともあって、顔を見るくらいにしておきました。
とってもかわいい赤ちゃんでした。チビちゃんも元気いっぱいでほっとしました。
でも、現状は外に遊びにも出せないし、お母さん自体もなかなか外に出れない状況。
検診の関係もあって、まだすぐに帰る事もできず不安な日々を過ごしている現状。
近くにあるデニーズで二人でご飯を食べて、ほんの少しでも気晴らしになってくれた
事が唯一の救いでしたが、出来ればそのまま連れて帰ってきたかった。。
今、福島のお母さん達は本当に大変な思いをしていると思います。
子供達のことを考えたら少しでも早く非難することが望ましいけれど、そうしたいと
思ってもそれぞれの色々な事情や都合でそんな簡単に出来ないこともよくわかります。
今、避難するといっても自主避難するしかなく、負担も大きいです。
もちろん、福島だけに限らず今では首都圏のお母さんたちもたくさんの不安を抱えて
いると思います。いろんな情報が錯綜する中、「これくらいなら大丈夫だ!安全だ!」
という安全論者たち。一方、「これくらいでも危険だから注意するように!」という
間逆の人たち。「一体どっちを信じればいいの?!どうしたらいいの??」って
そんな気持ちでいっぱいだと思います。
忙しいお母さん達は、私みたいに暇さえあれば情報収集しているわけにもいかず
テレビの情報を見ることで手一杯の人もいると思います。
ようやくこの辺のテレビからは無表情にただただ「安全」を連呼するような
御用学者がほとんどいなくなり、震災直後から危険性を訴えていた、
私の信頼する人たちがテレビに少しずつ出れるようになり
ほんの少し安心はしていますが、まだまだメディア規制は続いています。
大手メディアの最大のスポンサーは電力会社です。
県が雇っている安心アドバイザーの話を信じてしまう人もいると思います。
もちろん、人間の心理として出来る限りの安心を求める方が気が楽になると思いますが
出来る限り情報を集め、共有していくことが大事だと思います。
今、ネットではお母さん達のネットワークがいろいろと出来ています。
全国のお母さんが同じように胸を痛めています。
同じような環境で、同じような苦しみを抱えている人たちは
その悩みを共有することができます。
そしてその解決策を考えていくこともみんなで繋がれば可能だと思います。
どうか一人で抱え込まず、身近な人たちとでも、そうでなくても、
是非繋がってくださいね。
私は結婚もしてないし、子供もいないので出来る限り情報提供することでしか
協力できませんが、
ほんの少しでも何か役立つ情報提供ができればいいなと思っています。
少しでも情報を知りたい方は下記にお母さんたちが自分たちで勉強し
作ったサイトがあるので、ご覧ください。
福島のお母さんへの手紙 ~京都のお母さんたちより~
http://kajipito.net/img/mama-mail_front.jpg
柏ママの放射線だより
http://members3.jcom.home.ne.jp/2143800701/#kashiwa
ツイッター
save fukushima
http://twilog.org/savefukushimaa
~追記~
昨日、NHKで放送された「チェルノブイリ医師の思い」まとめ
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/100/82400.html